滝正男(岡田忠=朝日)

◎プロからも誘われた指導力

 教育者であり人生の最後まで野球を愛し続けた人だった。 
 滝さんは愛知県一宮市出身で中京商業時代は鉄腕投手の野口二郎さんとバッテリーを組み、1937年の第23回全国中等学校優勝野球大会で優勝、38年の第15回選抜中学校野球大会でも優勝した経験を持つ。 
 指導者としては49年に愛知県立起工業高校の監督になったのをはじめ、のちに中京商の部長、監督として第36回高等学校野球選手権大会で優勝、第28回選抜大会も制覇した。70年の第19回全日本大学選手権でも優勝するなどアマ球界を代表する指導者と言われた。
 プロ球団から監督招聘の声がかかったこともある。
 モットーは「チームワーク」と「緻密な機動力野球」。全国に知られた“中京の野球”の礎を築いた一人といえる。教え子に沖縄県立豊見城高校や沖縄水産高校で監督を務めた裁弘義さん(故人)、兵庫・報徳学園前監督の永田裕治さんがいて、プロ球界では大毎、阪神、広島で強打者として鳴らした山内一弘さん(故人)元中日の中山俊丈さん木俣達彦さんらがいる。
 指導者を退いてからは各地にいる教え子に乞われて試合や練習を見て回るなど最後まで野球を愛した。
 ある時雑談でこんなことを話したことがある。
 滝さんが中京商1年のとき、7年先輩の吉田正男さん(故人)が練習を手伝いに来た。吉田さんは第19回中等学校優勝大会の準決勝で明石中を相手に延長25回を投げ抜いた大先輩だ。肩慣らしに10球ほど受けただけだがそれが嬉しくてたまらなかったらしく眼鏡の奥の細い眼をいっそう細めて昨日の出来事のように話した。
 1912年4月2日心不全のため死去、享年90。(了)