第19回 地団駄(島田健=日本経済)

◎村田兆治の応援歌

▽敗残の人生を嘆く?

「忘れてしまいたい事や どうしようもない 寂しさに 包まれた時男は 酒を飲むのでしょう」
 シンガーソングライター河島英五(1952年=昭和27年生まれ)の代表作、「酒と泪と男と女」の出だしはしみじみ淡々としてしかもインパクトがあるが、この唄も1番では「たそがれてく街」「何かに追われる そんな人生 夢も置き去りに自分を見失い 人にまみれてきた」と敗残した人生を嘆くかに見える。

▽サビの最後で一転

サビも「地団駄踏んだ人生」「 仕方ないのさ人生」とやるせない言葉が並ぶが、最後に「新しい酒が人生 新しい恋が 人生さ」と一転する。2番では一人見るテレビの「画面の中では 肘を痛めて 再起不能と言われた投手 息子ほどの若い打者に 挑みかかっていく」と描写する。
 そう、この唄は右肘故障してから、復帰したロッテ・村田兆治投手(1949年生まれ)の応援歌だったのだ。若い打者とは86年入団の清原和博(当時西武)である。

▽肘手術のタブー破る

マサカリ投法といわれる豪快なフォームとフォークボールで一世を風靡した村田は、82年から右肘を故障し、様々な治療法を試みたが成功しない。当時はタブーとされた手術を米国、フランク・ジョーブ医師の元で決行した。
 約2年のブランクの後、85年には開幕11連勝など17勝と見事に復活を果たした。河島英五がこの唄を発表した89年の5月13日には通算200勝を達成した。村田の成功で、通称トミー・ジョン手術は日本球界でも当たり前になって行った。

▽大谷翔平まで

利き手の反対の肘から腱を移植する手術は、現代では難しい部類でなくなり、ダルビッシュ投手(現カブス)や二刀流の大谷翔平(エンゼルス)までやっている。今やこの故障は再起不能とは言えなくなったわけだが、パイオニアであった村田がその道を開いたことは確かだろう。
 この歌詞も村田だけでなく、すべての故障選手の応援歌になっているようだ。河島英五は48歳でなくなってしまったが、残した唄は人々にいつまでも元気を与えてくれる。(了)