「野球とともにスポーツの内と外」-(佐藤彰雄=スポーツニツポン)
◎「道」を極める
私のスポーツ記者生活は「相撲担当」から始まりました。1969(昭和44)年に入社。1年間の見習いを経て70年から相撲記者の世界へ放り込まれます。
この時期、晩年を迎えていた横綱・大鵬(故人=享年72)の進退問題が常につきまとっていて各社のベテラン相撲記者の水面下の動きが急でした。
駆け出しの私が4場所目を迎えた70年7月(名古屋)場所でのこと。場所前の企画で大鵬を取材することになりました。テーマは、既に下半身の衰えを隠せなくなっていた大横綱の進退絡みです。
▽横綱に“調子”はない
部屋に大鵬を訪ね、応じてくれた大鵬に私は、第一声、話の糸口として、
「調子はどうですか?」
と切り出しました。その一言で顔色を変えた大鵬は、
「キミは横綱に調子を聞くのか」
と怒り、奥に引っ込んでしまったのです。
茫然自失。しかし、帰るわけにいかず、イヤな汗を流しながら残っていた私に、怒りを鎮めて戻って来た大鵬は、こう言いました。
「いいか。横綱というものは、日々の調子などという個の事情を超えたところにいる。使命感、義務感が最優先されるんだよ」
新人ゆえにこの言葉は心に刺さり、老いとケガとの戦いに入った大鵬は、既に“求道”の世界に入っている、と認識させられました。
▽師弟が求めた“野球道”
相撲担当の後にプロ野球担当となり、この米国発のゲームに相撲の重々しさはなく、大鵬のような“求道者”は存在するのだろうか、などと思いながら日々の取材に追われていました。
そんなとき-。巨人の王貞治選手が77年9月3日、世界新記録となる本塁打756号を打ったときから始まったスポニチ本紙の連載で、師・荒川博との運命的な出会い、その武道的指導を知り、興味を持ちました。
合気道や居合い道に通じていた荒川は、一本足打法の肝を「間」として、そこに武道的な力の出し方などを当てはめたそうです。極め付きは、日本刀を使ってモノを斬ることによって得たダウンスイングの極意でしょう。
面白いですね。相撲に武道としての道があるのは分かります。しかし、ゲームの野球も、高みに抜けると“道”になってしまうのですね。(了)