第1回 ホームラン・ブギ(島田健=日本経済)

◎1953年紅白歌合戦のとりは両組ともに野球の歌

米大リーグの7回表終了時に観衆そろって歌う「テイク・ミー・トゥー・ザ゙・ボールゲーム」は日本でもおなじみだ。野球に関する歌は日米ともに多いが、それだけこの競技が両国に根付いている証拠だろう。様々な「野球の唄」にスポットを当ててみた。

▽歌ったのは「おばちゃん役者」

笠置シズ子の晩年は大阪弁の達者な、おばちゃん役者として知られたが、第2次大戦終了直後はジャズ歌手で、ブギの女王といわれたトップスターだった。弾むような軽いノリでスイングするのがブギウギ。服部良一作曲で1948年(昭和23)に発表された「東京ブギウギ」(作詞鈴木勝)は、歌詞の軽妙さもあって空前のヒットになった。
 プロ野球(当時は職業野球)は戦後いち早く活動を開始、46年に復活したリーグ戦ではセネタースの大下弘がいきなり20本塁打を放って人気者になった。48年には巨人の川上哲治と青田昇がともに25本でトップ。川上の赤バット、大下の青バットともてはやされた。48年終盤にはラビットボール(飛ぶボール)が採用されて打者も本塁打を意識した打撃になっていく。
 そんな時期、49年夏にホームラン・ブギは発表された。作詞サトウハチロー、作曲服部良一。「拍手」「フレーフレー」のかけ声で始まる軽快な内容。数え歌で当初は野球にちなんで9番まであったが、SP盤の収録分数の関係で3,4番がカットされたため、現在でもこのバージョンで歌われることが多い。当時のシングル盤で当然A面かと思ったが、野球好きな服部は大御所、藤山一郎にも「日本野球の歌」を提供し、これがA面でブギはB面だった。

▽ネットで聴ける野球の歌

吉田拓郎は「ホームラン・ブギ2003」のタイトルでこの曲をカバーしたが、球団名などそのまま変わらずに歌っている。この曲はフジテレビの野球番組のテーマソングにもなった。吉田の歌は、軽くはねるようにスイングする笠置と違ってストレートで男っぽい。ジャズの一種のブギウギというよりロックンロール的といわれている。
 53年1月2日放送の第3回NHK紅白歌合戦(ラジオ)では紅組のとりが笠置のこの歌で、白組の最後は野球愛好家で有名な灰田勝彦の「野球小僧」(作詞佐伯孝夫、作曲佐々木俊一)だった。ともに野球を賛歌する歌が締めくくりとは空前絶後だろう。
 49年は物干し竿バットの藤村富美男(阪神)が46本、2リーグ分立後の50年には小鶴誠(松竹)が51本塁打を記録している。戦後最初の野球(ホームラン)ブームを象徴している曲といっていい。さて、様々な懐かしい曲が今はネットで探せば簡単に聴けるのだからうれしい。(了)