「いつか来た記者道」(33)-(露久保孝一=産経)

◎親子勝利投手はたった一度だけ
2021年になってもコロナ禍はなかなか収まらず、菅義偉政権はその対策に追われ続けている。その菅内閣の20閣僚のうち、世襲議員は12人もいる。日本では以前から、政界では二世議員、企業においては二代目社長・経営者という父と子の王座や偉業継承のケースが多い。
プロ野球界には、父と子そろっての偉業達成はあるのかどうか? 毎年、プロ野球には12球団合わせ育成選手を含めて約900人が在籍している。これだけ大勢の選手がいれば、父にならって子もプロの世界へ、という選手も結構多いと思われる。しかし、以外と少ないのである。
かつて、巨人の「ミスター」こと長嶋茂雄の長男の一茂はヤクルト、巨人でプレーした。南海、西武などでマスクをかぶり戦後初の三冠王に輝いた野村克也の三男・克則はヤクルト、巨人、楽天などで力を発揮した。しかし、子息たちは偉大な父と比べ、さしたる成績は残せなかった。
▽会田親子がプロ史上初の快挙
広島、ドジャース、ヤンキースでエース級として投げた黒田博樹投手は、日米通算203勝を挙げた名投手である。黒田の父は一博外野手で、南海、大映などで6番打者として好打を発揮した。こちら黒田は、子が父を超える活躍を見せて広島ファンから愛された。 
また、中日で主にリリース投手として通算35勝7セーブ22セーブポイントをあげた堂上照の子である剛裕(巨人)と直倫(中日)は、兄弟プレーヤーとして働いている。
以上あげた長嶋、野村、黒田、堂上は、父と子は同じポジションではなかった。父と子が投手として勝利をあげたとなると、数多い父子選手の中でたった一例しかない。
その栄えある「黄金親子投手」は、父が元ヤクルトの会田照夫で子は巨人コーチの有志(ゆうし)である。父はヤクルトに1971年入団しアンダースローの魅力ある投法でプロ通算29勝45敗3セーブをあげた。三男の有志は、2006年巨人に入団。1年目は勝ち星がなく、翌年4月26日の横浜戦で「運命の日」を迎えた。2対3と1点リードされた八回表に登板。満塁のピンチを断ったあと、その裏の味方攻撃で3点とって逆転した。会田にプロ初白星がついた。父に次いでの親子勝利投手は、日本プロ野球史上初となり新聞でも大きくとりあげられた。
▽父と子の競演をファンは待っている
有志も父と同じ右投げのアンダースローである。有志は通算3勝2敗だったが、ファンからは「いっしょう懸命のいっしょう、いっしょう忘れられない大勝利を残した」と祝福された。
 この会田家だけの記録は、唯一という点で価値ある「珍記録」である。親が子を教えて、子が親を見習って同じく偉業を達成する。プロ野球界なら、親子そろって勝利をあげる、あるいはホームランを量産する、またはファンを魅了するプレーを発揮する・・・そのような「親子鷹」のドラマを見たいものである。(続)