◎春のキャンプはルーキー登竜門

立大から巨人に入団したゴールデンボーイ長嶋茂雄がキャンプインしたのは1958年2月初旬。立大の卒業試験を済ませてからだった。国鉄の明石駅(兵庫県)には大勢のファンが待ち構え、歓迎のもみくちゃに遇った。普段なら駅から徒歩5分ほどの宿舎まで30分もかかった、という。伝説の話である。
 キャンプでの打撃を見て4番打者の川上哲治は「オレの後継者」。東京六大学リーグ新の8本塁打は打撃の神様をうならせた。現在の神宮球場より10㍍以上広かったうえに、東大戦以外から打った内容は強豪に燃える長嶋の真骨頂を証明していた。オープン戦では7本塁打を打ち話題を独り占めにした。
 春のキャンプはチームの戦力を作り上げる場。前年のレギュラーがそのまま安泰というわけではない。首脳陣は新戦力を求める。ルーキーにとってキャンプは最初の登竜門である。
 長嶋とは対照的に、無名から大選手になった劇画の主人公のようなストーリーを実現した投手がいた。高校を出て18歳でプロ入り。「バッティング投手でもやらせよう」という程度の監督評価だった。
 この若者、打撃投手をピッチング練習とした。3球真ん中に投げて打たせ、次の1球はコースに投げ分けた。ちゃんとした理由があった。「打者は何球も続けて打つと疲れる。3球打って1球見送って呼吸を整える。そのⅠ球を自分の練習とした」と振り返っている。
 毎日投げるから肩は強くなるし、コントロールも整った。キャンプ後半になると主力打者が「ど真ん中でも詰まる」と監督に伝えオープン戦に帯同。登板のたびに好投して開幕からベンチ入り。この若者は21勝を挙げて新人王になった。長嶋入団の2年前の56年の出来事で、西鉄・稲尾和久の伝説の出世エピソードとして語り伝えられている。
 長嶋が新人で出場した日本シリーズは西鉄が3連敗のあと4連勝というドラマを生んだ。主役を強めたのは稲尾。第4戦から完投、救援(7イニング)、完封、完投ですべて勝利投手。“神様仏様稲尾様”といわれたときである。最終戦の9回裏、ランニング本塁打を放ったのが長嶋だった。
 春のキャンプで故障したり、体調を崩すと本番に響く。重要な時期であることはだれもが認める。新人はだれもがプロの攻守走のスピードとスタミナに驚き、焦って無理をして不十分な状態を抱え脱落していくケースが少なくない。1日1球Ⅰ打、すべてを考えて取り込むことである。稲尾の出世物語を新人に伝えたい。(菅谷 齊=共同通信)