「いつか来た記者道」(36)-(露久保 孝一=産経)

◎あゝ連敗、いつまで続くぬかるみぞ
いつの時代にあっても、勝負事は勝つか負けるかである。半世紀以上前の昭和時代のプロ野球は、チームに力の差があったため、強いチームと弱いチームがはっきり分かれていた。21世紀に入ってからは、ドラフト制の影響もあってチーム力が均等化され、チーム力の差は少なくなった。
 それは記録を見れば、一目瞭然である。プロ野球が2リーグ制になって以降、チームの最高勝率は1951(昭和26)年にパの南海(現ソフトバンク)がマークした.750(72勝24敗8分)である。2位が50年セの松竹ロビンス(現DeNA)の.737、3位が51年セの巨人の.731である。2000年以降の最高勝率は12年セの巨人の.667で、歴代にすると16位にあたる。平成時代からは首位の勝率は昭和と比べるとがくんと落ちるのである。
▽あの大洋の悪夢がDeNAに移る?
では、最低勝率はどうか。ワースト・ワンは1958(昭和33)年、パ近鉄の.238(29勝97敗4分)。当時のパは引き分けを0.5勝とした。現在の計算なら.230となる。2位は55年セの大洋の.238(31勝99敗)である。こちら最低勝率は、平成以降は昭和と比べ、それほど低くはない。つまり、21世紀以降のプロ野球はセ・パともに、チーム力が拮抗しているために勝率に大きな隔たりはなくなっているのである。
 ところが、2021年のセ・リーグで「異変」が起きようとしている。DeNAである。開幕から投打ともに振るわず、4月に10連敗を喫した。現役時代に本格派右腕として活躍し、「ハマの番長」というニックネームで人気のある三浦大輔投手が監督に就任し、ファンから期待されてのスタートだった。それが思いもよらぬチーム低迷に、三浦監督は浮上への作戦考案に模索の日々が続いている。
 ハマのオールド・ファンにとっては、暗い過去の悪夢が頭をよぎる。「まさか、あの恐ろしい連敗シーズンの二の舞にはならないだろうな」
▽99敗、首位と61.5ゲーム差
 悪夢とは、前述した1955年の負け戦である。この年は、藤井勇外野手が兼任監督をつとめた。「あの年は、試合をすれば負けだった。勝つのはまぐれみたいなもんだったよ」
 どれほどひどかったのか。5月から毎月、連敗街道を走った。5月8連敗、6月9連敗、7月14連敗、8月11連敗、9月8連敗、10月7連敗という悲惨な戦いだった。勝つのは、やはりまぐれだった。年間通じて、4連勝が1度、3連勝1度、2連勝が3度しかない。あとは、たまに勝つのみである。かくして、年間勝利は巨人の最多勝、大友工より1つ多いだけの31勝止まり、負けは99敗に達した。首位巨人とは、あわれ61.5ゲーム差も離された。
このシーズンは130試合だった。61年に140試合行った近鉄は103敗して史上最高の敗北数を記録しているので、大洋は負け数では史上2位に救われた。
 大洋ホエールズから横浜ベイスターズ、さらにDeNAとなったハマの球団を愛し続けるファンに、勝利の「たいよう」はいくつ輝いてくれるか。
 自然界の出来事において未来のことは予測不可能であるとするならば、2021年のセ・パリーグの戦いの行方は「神のみぞ知る」ではある。果して、DeNAの結果はいかに。あるいはプロ野球全体に、いつにない異変が待ち受けているだろうか?(続)