「野球とともにスポーツの内と外」-(佐藤 彰雄=スポーツニツポン)

◎日米の差“半世紀”を経て…
 かつて世界に一番近いスポーツはゴルフ、一番遠いスポーツは野球、と言われていました。ゴルフは人が相手ではなく、コースとそれに対するマネジメント力、自分の精神力との闘いだったからです。
 その証拠に1977年、樋口久子(現・JLPGA顧問)が「全米女子プロ選手権」を制覇し、米国常駐のレールを敷いた岡本綾子は1987年に外国人初の賞金女王に輝いています。後に続いた宮里藍は2010年、日本人初の世界ランク1位となり、最近では渋野日向子が「AIG全英女子オープン」に勝ち、樋口以来の海外メジャー優勝という快挙を達成しています。遅れを取っていた男子も松山英樹が2021年の「マスターズ」に勝って日本列島を歓声の渦に巻き込んだことは周知のことです。
▽ゴルフと野球の差
 一方、野球はどうでしょうか。手元に1990年(平2)に日本で開催された「スーパーメジャーシリーズ~全日本vs米大リーグ」(日本野球機構など主催)の公式プログラムがあります。同プログラム内の記述-。
 「サンフランシスコ・シールスが来日したのが昭和24年。日本のプロ野球誕生に尽くしたフランク・オドール監督が率いた、戦後初来日のメンバーは、日本のプロチームと6試合、東京六大学選抜と1試合の計7試合を行い全勝。日本勢は力の差を見せつけられた」
 明治時代から行われていた国際野球試合のシリーズ戦「日米野球」ですね。同年の3Aパシフィックコースト・リーグ「サンフランシスコ・シールス」の来日は、第二次世界大戦の影響で開催が断たれていた日米野球の16年ぶりの復活となっています。ちなみにオドール監督は、現在のプロ野球・巨人軍の前身、大日本東京野球俱楽部のニックネーム「ジャイアンツ」の名付け親なのだそうです。
 さらに…同プログラムには1964年9月、日本人メジャーリーガー第1号となった村上雅則投手の体験談が掲載されています。抜粋すると-。
 「(略)スピードとパワーを爆発させる攻撃的な野球がメジャーの見どころであり魅力であるという点は、昔も今もまったく同じなんです。選手個々をとってみると「自分は何を売り物に出来るのか」という自覚のもと(略)例えばその一つが守備。肩やスナップスローの強さは、どんなに頑張っても日本の選手は追いつけないものがあります。(略)」
▽太刀打ちできなかったパワーの差
 つまり「人対人」のスポーツである野球において、MLBのスピードとパワーに日本野球はとても太刀打ち出来ない、世界は遠い、という絶望的な時代があったのですね。
 が、村上氏はMLBの本質を見抜いています。根本にある「選手個々が何を魅せるか」の重要性。パイオニアとなった野茂英雄投手は、背中を打者に向けてしまう「トルネード投法」で三振の山を築き、日本人選手初の野手としてMLBに飛び出したイチロー外野手は、不利説を覆して独特の「振り子打法」で安打を量産するに至っています。
 先駆者たちが未知の領域に立ち向かった苦難の時代があり、やがて松井秀喜外野手のパワーにひけを取らない長距離打者の時代が到来します。そして今…大谷翔平投手の誰もマネの出来ない“二刀流”の活躍-。
 伝統の日米野球は1970年(昭45)、サンフランシスコ・ジャイアンツに日本勢が9戦6勝3敗と初めて勝ち越しました。米国が日本の力をやっと認めてから半世紀を経過、日本野球の進化です。(了)