第4回「川上哲治の愚直」

▽粘り強くて、凝り性で

私がレース畑の担当からプロ野球のサンケイ―ヤクルトの担当替えになったとき、川上監督について作家の三好徹さんから聞いた「表現」がある。それが「愚直な人」という表現だった。三好さんに会ったのは、レース担当としてお願いしてあった競馬に関する一文を受け取りに行ったときだった。
 そのとき仕事が変わる話をした。すると元読売新聞社会部の記者だった三好さんが巨人についていろいろと話してくださって、その中に、「川上監督は愚直な人」という表現があったのだ。なんとなくわかるような気がして、以来、長く私の川上監督観になった。
 実際、川上監督という人は何かにつけて愚直に熱中する凝り性で粘り強い人だったようである。担当になって巨人や川上監督に関する本を読んだ中に、そういうエピソードがたくさんあった。
 たとえば藤田元司投手コーチから魚釣りを教わったときのこと。これは藤田さんから直接聞いた話である。
 「最初にオフに一緒に釣りに行ったとき、私が釣れるようにまき餌をしておいたんだよ。そしたら釣れるわ釣れるわ。川さんは私がまき餌していることなど知らないから、すっかり気に入っちゃってね。たちまち夢中になって、シーズン中のナイターが終わってから、おい、江の島へ連れて行け、とうるさくてね。行ったら最後、お日さまが出るまで江の島にいるんだもの」
 あんなに怖い監督なのに、人間的にはかなり面白そうお人なのだなとも、熱中するたちの人なのだなあとも、「愚直な人」ならさもありなん、などと思ったことだった。

▽石の作品、その名は「グラブ」

その前に熱中したのが「石磨き」だった。これについては福田コーチの話がある。
 「石磨きに熱中しているときだった。磨いているでっかい石を遠征に持っていっていきたいというんだよ。ボストンバッグに入らないくらいでっかいんだよ。仕方ないからリックサックを買って担いで行ったよ。何かを作りかけだったんだね。当時は自分の野球道具を自分で持っていくことになっていたから、その上に重たい石だぜ。でも監督が、持っていきたい、というから仕方なかったね」
 川上監督からは、「石も選手も、磨いて磨いて磨き抜けば、光って立派な作品になるのじゃよ」と聞いたことがある。
 その川上監督の「石の作品」についてもう少し見聞したことを書ておく。
 私が巨人担当になったときの正月2日だった。一緒に担当になった酒向安武記者(のちに東京新聞編集局長)と川上邸にうかがって来意を告げると、ニコニコと応接間に招き入れてくれた。
 それまでの新聞紙上で知る川上監督は、「頑固で堅物でとっつきにくい人」だったがニコニコ顔だった。きっと前担当記者だった谷野祐治さんや二川和弘さんが友好的に遇されていたのだろうと思われた。
 川上監督は応接間に座ると開口一番、
  「私が悪名高い川上です」
  と言われた。「とっつきにくくて箸にも棒にもかからぬ頑固者」の正反対だったのでびっくりしたが、その後こう続けた。
 「お願いが一つだけある。私の話のカギカッコのなかだけは、言った通りに書いてくれ、ということじゃ。カッコの前後には何を書かれてもしゃあないがね」
 そのときのことは昨日のことのように覚えている。
 実際、それが正しいことなので私はそのとおりにして巨人担当を過ごしたが、カッコとカッコの間に、いろいろと書いた関係で監督と「軋轢」がなかったわけではない。このことについては後に書くチャンスがあると思う。
 川上監督に応接間に招き入れてもらって、最初に目がいったのが座敷の床の間だった。なんと、その真ん中に「グラブ」と題する「石」が置いてあったのだ。掛け軸とか花瓶とかはまったく覚えていないが、「石」だけは鮮やかに覚えている。
 それは一見しただけで野球の「グラブ」に見えるような見事な作品とは言い難かったが、指が一本一本削ってあって、ヒモもついていて、よく見るとグラブのような形にはなっていた。
 その出来不出来より、硬いゴツゴツした石を一心不乱に刻んでいる監督の姿が目に浮かんで、「聞きしに勝る根気のある人なのだなあ」と感じたものだった。このしつこくて粘っこくて愚直な人から毎晩ミーティングで繰り返し説教されたら、選手も監督と同じような気質が血と肉に刻み込まれるだろうな、とも思った。(続)