◎長嶋茂雄氏追悼③ (編集 露久保 孝一=産経)

▽監督解任と意味不明な言葉
司会(露久保孝一、産経)「長嶋さんは1974 (昭和49)年、『巨人軍は永久に不滅です』との名セリフを残して現役を引退した。翌年、巨人の監督になり、1980年に『解任』という大事件が起きプロ野球界に衝撃が走った。この時は、どんな様子だったか?」
武田幹雄(スポニチ)「長嶋さんが解任された前夜は会社で大変だった。10月20日のスポニチ編集局です。長嶋・巨人は広島戦に勝ちAクラスを確保した。流れは留任だった。地方への早版は『留任』の大見出し。ところが評論家の有本義明さんからの情報もあって、最終版は『解任』に変えた。ミスターがクビになる、それだけで編集局は殺気立った。部長は『誤報になったら』とその責任感から辞表を書く覚悟を決めた。私は記者になって初めて出くわした大きな事件、鳥肌が立った。翌日早朝、大手町の読売本社の球団事務所へ取材に出向いた。一日中、新聞、テレビクルー、雑誌入り乱れて大混雑した日だった」
菅谷齊(共同通信)「長嶋さんが解任される日に、長嶋さんの家に電話した。野球人にとってはかなり早い朝6時55分だったが、長嶋さんがすぐ電話に出た。『監督、解任という情報があります。事実ですか?』と聞くと、長嶋さんは『菅谷君、きょうの役員会でひっくり返るかもしれないからね』と話した。結局、解任となった。長嶋さんは時々、電話番号を変える人だった。その前に使っていた番号に戻すことがあった。“知恵者”と感心したもの」
田中勉(時事通信)「長嶋さんが監督を解任された時は、各社が激しい取材合戦をした。僕も長嶋さんの大田区田園調布の自宅前から、長嶋さんが乗った車を追って大手町の読売本社まで行った。何台もの報道陣の車が連なるすごさだった。長嶋さんの記者会見は殺気だった雰囲気のなかでおこなわれた。本当に緊張した監督解任の日だった。長嶋さんが監督の時は、歩きながらしゃべっているのを聞いたけど、よくわからず辛かった」
司会「長嶋さんのコメントには、各記者からいろんな感想が聞かれる。ユニークな話しぶりやジョークは人の笑いを誘う。しかしながら、よく聞かれるのが、いま田中さんが言った『何を話しているのか分からない』という意見である。この点はどうか?」
玉置肇(日刊スポーツ)「広島で長嶋監督から聞いた『陰徳』の話の続きです。長嶋さんが言ったこの陰徳は、『陰で積む徳こそが自らの身となり、自らを助けるもの』という教えだった。『人知れず行う徳こそが大事なんです』と長嶋さんは力説した。あとで調べてみると、哲学者の安岡正篤(まさひろ)氏の有名な言葉だった。長嶋さんは誰に告げるでもなくそれを実践していた。94年の長嶋巨人のリーグ優勝と日本一は、その陰徳が力を与えたのだと僕は解釈している。1対1になると、こんな驚きの、楽しい話が聞けるのか!私はこんな機会を与えてくれた天に感謝した。陰徳で思うのは、10月8日の最終戦決戦前のミーティングで「勝つ!勝つ!勝つ!」と発した長嶋さんの言葉だ。『言葉のマジック』の力で勝利につなげた。それで陰徳を認識した次第です。これらの話を優勝原稿のネタに使おうと思ったが、執筆に時間がかかり出来なかった。痛恨の極みでした」
《10・8決戦とは、1994(平成6)年に日本プロ野球史上初めてリーグ戦最終戦時の勝率が同率首位で並んだチーム同士の直接対決という優勝決定戦である。ナゴヤ球場で中日と巨人が対戦し、長嶋茂雄監督の巨人が高木守道監督の中日に勝った》
司会「長嶋さんの人柄とコメントに対する意見は、記者によってさまざまである。明るい言葉がぽんぽん飛び出したが、変化球が多く理解が困難なセリフは記者泣かせだったようである」(続)

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