「記録の交差点」(31)-(山田 收=報知)
第31回 秋山翔吾⑤
野口二郎の持つ31試合連続安打の日本記録を、25年ぶりに塗り替えたのは、前回述べたように、阪急の後輩・長池徳二(のち徳士)である。プロ野球初のドラフト(1965年)で、阪急から1位指名を受け、法政大から入団。快記録は、6年目の1971年に生まれた。
時は7月6日。阪急・西鉄戦(西京極)、2回裏の第1打席である。西鉄の先発・三輪悟のカーブを左越えに同点22号ソロを放ち、32試合連続安打をいとも簡単に達成した。驚くべきは、4回の第2打席でやはり三輪の速球を、6回の第3打席では柳田豊のカーブを捉えて、ともに左翼席に叩き込んだ。なんと3打席連続本塁打で、新記録をより華やかなものにした。
当時のNPB記録である4打席連続本塁打への挑戦となった8回の第4打席は、敬遠され、ダブル日本新の偉業はならなかった。
長池はタイ記録の31試合(7月4日・近鉄戦)も第1打席、中前安打でマークした。期間中、何打席目でその試合の初安打を記録したかを見ると、第①打席=12試合、②=8、③=9、④=3となっている。62.5%が2打席目までに出ており、“産みの苦しみ”とは余り縁がなかったように見える。
但し本人は「当時、28試合が日本記録、と新聞記者に教えられて、29試合で新記録だと思ったら『違っていました。31試合です』と言われて、ガクッときた」と振り返っている。当時、メディアの注目も日に日に高まり、プレッシャーの中での達成だった。
32試合の期間中の打撃成績は、125打数53安打、7二塁打、1三塁打、16本塁打、打率.424、40打点と4番打者として文句のない数字である。とくに2試合に1本のホームラン量産は見事だ。カード別に見てみると、打率.478の西鉄戦を筆頭に、東映戦(.345)以外、南海(.428)、近鉄(.441)、ロッテ(.444)の4カードで打率4割台をマークしている。
長池といえば、典型的なプルヒッターで、内角球のさばきが巧みだったという。逆に外角へ逃げるボールを苦手にしていて、その対策の成果が、あの左肩にアゴを乗せる独特な構えになったといわれている。
期間中の53安打の打球方向を調べてみた。左=31、左中=2、中=12、右中=2、右=3、内野安=3。中~左方向で約85%を占めている。この年、打率.317、40本塁打、114打点を残し、無冠ながら2度目のMVPを獲得、まさにブレーブスの中心打者だった。
4年連続40本塁打を叩き出すなど、長距離砲のイメージがある。勝手な想像だが、連続試合安打の記録達成者は、どちらかといえば、どのコースも器用に打ち分ける巧打者タイプが多いのではないか、と思う。それは長池自身も「ボクみたいなタイプが作るような記録じゃないでしょう」と語っている。「ボクの記録を超えるとしたら左打者かな。張本さんじゃないか、と思っていた」そうだ。その張本勲(巨人)は、1976年5月~6月に肉薄したが、30試合連続でストップした。
確かに連続試合安打記録上位10人中、本塁打王のタイトル保持者は長池しかいない。顔ぶれを見ると⑨岡林勇希、グレン・ブラッグス⑤近本光司、マット・マートン、福本豊、張本勲③秋山翔吾、野口二郎②長池徳二…。
長池のプロ生活ラストイヤーとなった1979年、8年ぶりに記録を更新する若武者が登場する。5年目のスイッチヒッター・高橋慶彦である。=記録は2025年シーズン終了時点=
(続)
