第12回 昔ここは球場だった(島田健=日本経済)

◎今はなき球場を偲ぶ唄の定番

▽シナトラが朗々と唄う

「かつてここには球場があり、芝は暖かくて緑豊かだった 選手たちは僕が見たことないほどの楽しくすごい試合をしていた ホットドッグとビールで醸し出される雰囲気は最高だった そうまさにここに球場があったんだ」「ロックキャンディー(砂糖菓子)があり、独立記念日には夏空を大量の花火が切り裂いた 人々は見て驚き、笑い、そして応援した そうまさにここに球場があったんだ」
 淡々としたメロディーだが、大御所のフランク・シナトラが唄うと胸に響いてくる。

▽作者はセサミストリートの音楽担当

1973年(昭和48年)、2年前にいったん引退を表明したシナトラが、カムバックした時に出したアルバム、オール・ブルーアイズ・イズ・バックで発表された曲である。作ったのは意外に、当時の米国のヒット教育テレビ番組、セサミストリートの音楽を担当していジョー・ラポーゾ。番組でも使われた「シング」はカーペンターズが歌って大いに売れた。

▽モデルはエベッツフィールド?

今風にいえば、球場ロスの唄だが、モデルはニューヨークの2球場だと言われている。13年から57年までブルックリン・ドジャースがいたエベッツフィールド、1883年から57年までニューヨーク・ジャイアンツが本拠地にしていたポログラウンドである。
ドジャースはロサンゼルスへ、ジャイアンツはサンフランシスコへと本拠地を移したが、我がチームを失い、球場も姿を消したファンの嘆きは相当のものだったようだ。

▽全ての球場に当てはまる唄

球団があった都市なら、多くの人が懐かしの球場を持っているだろう。後楽園はもとより、川崎球場、東京球場、日生球場、大阪球場、西宮球場。米国でもほとんどのチームの球場が代替わりしていて、代わっていないリグレー(カブス)やフェンウェイ(レッドソックス)の方が珍しい存在。
この唄はなき球場を偲ぶスタンダードになっている。16年にはアトランタ・ブレーブスのターナーフィールド、最後の試合、終了後のセレモニーで流された。シナトラはニューヨーク・ヤンキースの試合後だけでなく、多くの球場で使われる。流石の大歌手である。

▽最後は「ロス」共通の詞

「空はとっても暗くなってきた いつもはすごく晴れていたのに 今年の夏は恐ろしく早く過ぎ去った」
何かをなくしたロス状態の悲しみ、心情を共通に表したフレーズと言われている。日本の野球記者が、川崎球場で坦々麺が、西宮球場でビーフカツが食べられなくなったのは寂しい、と嘆いているのとは格調が違うようだ。
検索はThere used to be a ballpark。(了)