「いつか来た記者道」(11)-(露久保孝一=産経)

◎挫折のあとに明るい道あり、もう一度社会人でチャレンジ

プロ野球通算安打4367本の世界記録保持者であるイチローが、2019年3月21日、東京でシアトル・マリナーズでの現役引退を表明した。日米で、華やかなプレーを続け注目を浴び続けた偉大なる打者である。しかし、プロ野球の世界には、イチローみたいなスーパースターは一握りである。けがや病気、何らかのアクシデントという不運に遭遇してこっそりと球界から離れ、ひっそりと第二の人生を送る元選手たちは多い。それでも、彼らの中には、明るく社会人としての道を歩み、確実な「ヒット」を飛ばしている元選手もいる。その人たちから、2人の元球児を見てみたい。 

▽楽天とヤクルトで遠かった晴れ姿、いま会社で心機一転!

2005年、楽天に入団した投手に一場靖弘がいる。
 明大のエースだった一場は、大学ナンバー・ワンの右腕だった。しかし、大学時代にプロ球団から金銭援助を受けていたことが発覚し、プロ入団も危ぶまれたが、楽天に入団した。心機一転、マウンドで晴れの姿を見せたいと新たなスタートを切った。しかし、大学時代のピッチング感は戻らずに、楽天と移籍したヤクルトを含めプロ8年、通算16勝33敗の成績を残して12年プロを引退した。
 社会人になってから14年に、茨城県のパーソナル電電に入社する。楽天時代に取材した記者(露久保)は、彼は、はきはきした受け答えと誠実な人柄から、会社でもうまく活動できるだろうな、というイメージをもっていた。その通り、会社員になってからの評判はよく、現在は責任ある立場に就き仕事をこなしているという。

▽公式戦ゼロ勝、社会人の「プロ」で勝利

もうひとりは、プロで病気・けがのため公式戦で一度もマウンドを踏めなかった奥村武博である。
 岐阜県立土岐商高から1998年に阪神入団。1年目で右肘を手術、3年目に制球力の良さが野村克也監督の目にとまり、春季キャンプで一軍帯同し好機到来した。が、残念ながら開幕は二軍だった。結局、阪神4年間で一軍公式戦出場はなく、ウエスタン・リーグでの1勝のみに終わった。
 プロを引退した後、2013年に念願の公認会計士に合格した。高校での日商簿記検定2級合格という経験が活かされた。受かるのは無理だといわれた難関の公認会計士に「もう一度、プロと呼ばれる場所に行きたい」と挑戦し「勝利」したのだった(産経新聞2019年3月18日)。
 プロ野球選手ばかりではない。何かにつまずいて、挫折や落胆、断念に追い込まれても、そこから這い上がって人生の明るさを取り戻す人はいる。その時、失敗した経験は生きてくるはずである。一場、奥村のひたむきな姿はそのことを教えてくれる。(敬称略)