「野球とともにスポーツの内と外」-(佐藤彰雄=スポーツニツポン)
◎「スポーツ紙は応援歌!」
スポニチ本紙にまだ在職中だったときのことですが、県版をつくるため福島支局に3年ほど赴任したことがありました。
そのとき、西も東も分からない未知の土地でどう有効な情報を効果的に集めるか、という課題に協力してくれたのが地元テレビ局に勤務するW氏でした。
すべてに好意的なW氏と密な交際を続けているうち、W氏は以前「ちょっと体を壊してしまってね」と入院生活を余儀なくされてしまったことを明かし、私に「サトーさん、スポーツ新聞は本当に偉大だね。いい紙面をつくって下さいよ」と言ったのです。
「とんでもないですよ。偉大だなどと言われることは少しもしていません」というのが私の気持ちでしたが、W氏が続けました。
▽プロ野球に生きる勇気をもらう
「私はプロ野球の横浜ベイスターズ(当時=現・横浜DeNAベイスターズ)の大ファンでしてね。何もすることがない入院中、毎朝、病院の売店まで歩き、スポーツ新聞を買い、ベイスターズの記事を読むことが唯一の楽しみだったのですが、その報道にどれだけ勇気や元気、明日への活力をもらったか分かりませんでしたよ」
なるほど…私にしてみれば凄くうれしい言葉でしたが、それはまあ、確かに伝える新聞の役割もあるでしょうが、W氏が言うように“スポーツ新聞が偉大”なのではなく、プロ野球のチームがファンの願っていることをやってのけていること、それを新聞なりテレビなりを仲介してファンに届けていることが偉大なのでしょう。
そして私がW氏の言葉を通して改めて思ったことは、体を壊して社会生活から無念の離脱を強いられ、病院で忍耐を続けている“弱者”たちへに勇気や力を与えているということです。
▽弱者を力づける熱気
プロ野球が存在する意義を考えるとき、スタジアムを埋めるファンの一人一人に勇気や力を与えることとは別に会場に足を運べず、病院のベッドで静かにテレビ観戦する弱った人たちへの応援歌としての存在も大きいですね。
とともにスポーツ紙って何だ、と問われたとき、こちらもまた、そうだなァ、ある意味、弱ったものへの“応援歌”的な役割を背負っているかもしれないね、と答えられるかもしれません。
新聞各社のプロ野球担当記者たちは、1月の自主トレから2月のキャンプ、さらに3月からのオープン戦転戦、そしてペナントレース突入…と担当球団と常に同行、家族と過ごす時間より球団と過ごす時間のほうが長い、という、一般的には当たり前でないことが当たり前の生活となります。
▽それらは何のために行うか-。
もちろん、より楽しく、より詳しく、などファンをリードするいい紙面づくりに反映されますが、もうひとつ、W氏のような人々に勇気を与える紙面を届けたい、というテーマがあることも記者たちは知ってもらいたいと思います。(続)