「いつか来た記者道」(17)―(露久保孝一=産経)

◎イチローは悪玉打ちの曲芸でも魅せる

 2019年3月に現役を引退したマリナーズのイチローは、会長付特別補佐兼インストラクターとしてチームの試合に同行し、試合前に選手の練習を手伝うなど「元気な姿」をファンに見せている。9月14日には、本拠地Tモバイルパークで選手時代の功績をたたえるセレモニーが催された。イチローは、あいさつに立ち、英語で5分間にわたりスピーチした。大リーグに感謝の言葉を続けたイチローの姿は、メジャーの舞台で活躍するのがふさわしい人、とファンに印象付けたようだ。

▽イチローに罠、高めの悪玉で勝負してきた

 私は、テレビに映し出されたイチローを見て、「類まれな悪玉打ちの名人」という言葉を思い出した。時は1995(平成7)年10月、神宮球場だった。私は、ネット裏からヤクルト―オリックス戦の日本シリーズ第3、4戦を観戦した。 ネット裏でささやかれたのは、ヤクルトの野村克也監督、古田敦也捕手のイチロー封じ込めだった。それは、高度な頭脳テクニックの戦いであった。
 野村監督は戦いの前に、マスコミに「強打者は内角攻めに限る」と話した。しかし、それはまき餌の罠だった。実際に、古田は、内角はボールにし外角で勝負した。イチローは外角高めの速球で攻められた。見送ればボールであり、それで四球になるのだが、高めのボール球でもイチローには打てる範囲であり、打ちに行って凡打した。
 まさに、罠にはまったのである。このシリーズ、イチローは5試合で19打数5安打、打率2割6分3厘。3球以内に打ったのが約4割もあった。「苦しかった」とイチローは、完敗を認めた。
 しかし、悪玉打ちの名人イチローは、ヤクルト戦は例外だったようだ。大リーグでは変幻自在に特技を発揮した。テレビ中継で見たファンも多いと思うが、内外角、高低のボールの「悪球」をたやすくヒットした。まさに「名人芸」である。
 2010年4月29日のロイヤルズ戦では、サイ・ヤング賞投手グリンキーのストライクゾーンから外角高めに大きく外れたカーブを、体を伸ばして左前打した。この打撃は、球場全体を驚かせた。イチローは、「天才打者」ゆえに、ボール球でもヒットできる離れ業ができるのだ

▽中島治康もバレンティンも、名人だ

 日本球界に目を向ければ、悪玉打ちの名人は結構いる。1938年、史上初の三冠王になった巨人・中島治康は、初代(?)悪玉打ちの名人といわれ、ワンバウンドの球を打ってホームランにしたという逸話を残している。
 最近では、ヤクルトの60号本塁打王(2013年)・バレンティン外野手、ソフトバンクの松田宣浩内野手、中日の平田良介外野手らがボール球を安打やホームランにつなげている。
 イチローは、スイングできる範囲の球なら打ちに行くという、普通の選手では不可能な打法でヒットを生んでいる。真ん中の球ならプロの選手はとらえられるが、きわどいコースの球は空振りか凡打になる。しかし、イチローはきわどいどころか、ボールの悪玉をヒットしている。
 その打法で、ファンに「曲芸」を見る楽しみを与えているのであるから、やはりイチローは「魅せる」プレーヤーなのである。(続)