「評伝」野村克也

「考える月見草」(2) 
◎監督失格者だからできた日本一への道
 1993年11月1日、野村は監督として初めてプロ野球界のトップに立った。野村は、「強い巨人を倒してリーグ制覇」し、日本シリーズでパの強豪西武を下して、新聞のⅠ面を飾ることができた。これが最高の名誉・・・野村の誇りであった。有頂天になっていいはずだが、野村の喜びはファンの目とは別のところにあった。この連載の第1回目は、「さん」付けだったが、今回から新聞記事と同じく「野村」として表現します。
 好投手、強打者や俊足たちの「有形の力」ではなく、努力と工夫を積み重ねた思考による「無形の力」で勝ちとった優勝なのだよ、と野村は言いたかった。それを口にすると長い説明が必要なため、多くは語らなかった。
 野村は、90年にヤクルトの監督に就任すると、選手の特徴を観察することから始めた。人間性を見たのである。「本来なら、その人間が社会人としてどういう意識と礼儀をもっているか、それをまず見たいのだが、試合があり勝負をしなければいけないので、勝ちにつながることも考えてやらなければいけない。妥協の指導だな」
▽飯田のミット買い、外野転向させ名手に
 監督者としての理想と現実である。人間性重視だけではなく、選手の隠れた才能を引き出して野球上達へ結びつける「神の目」、つまり救いの手だ。それが現実への対応だった。当時、捕手に飯田哲也がいた。飯田は、体が小柄で俊足、強肩の持ち主だった。どっしり構えて投手を引っ張っていく捕手のタイプに見えなかった。そこで、監督は野手転向を勧めた。本人が納得しないのを見て、野村は「君のミットを俺が買う。このカネで野手用のクラブを買え」と現金4万円を渡した。
 飯田はクラブを買い、内野手として試された。が、身のこなし方がうまくなく、結局外野手になった。俊足を生かしたプレーはうまく、ホームラン性の大飛球を何度もキャッチした。93年の西武とのシリーズ決戦では、中堅からノーバウンドで本塁返球をして失点を防ぎ、ファンから大喝采を浴びた。「飯田の勘は野性動物のような見事なもの。外野転向は、彼の資質にぴったり合った。これぞ適材適所だ」と野村はのちに述懐した。飯田は、捕手を続けていたら、試合の出番さえ危ぶまれたことだろう。
▽橋上の打法を変え、荒木の度胸を買う
 橋上秀樹は、打法を変えて成功している。野村が監督就任した年は、不調で出番が減り悩んでいた。ある日、試合前のフリーバッティングで野村から声をかけられた。
「お前さんは、バットを目一杯もっている。王はバットを一握り余らせて、868本打った。俺は二握り余らせて657本だ。お前さんは、それで何本打つつもりだ」。橋上は、体に衝撃が走りハッと気付いた。それまでは、バットを長く持ってホームランを狙うことに生きがいを感じていた。しかし野村の言葉を受けて、ミート中心の確実な打法にすぐ変えた。グリップを二握り余らせて振ると、ヒット性の当たりがぐんと増えた。その打撃改造で、橋上は野村監督の信頼を得た。91年に59試合しか出場がなかったが、翌年は107試合に出て活躍、野村の期待に応えた。
 投手では、荒木大輔が目をかけられた。野村は、監督して最初の優勝を争った92年9月、優勝をかけた天王山に挑んだ。その時、長い故障が癒えて、荒木が一軍に上がってきた。野村は、高校時代の甲子園ヒーローで大舞台に強いキャリアを持ち、見かけとは逆に内に秘めた闘志を感じ、「荒木で勝負だ」と決意する。4年間もブランクのある投手を、阪神との大一番に先発で起用した。荒木は懸命に投げ、チーム連敗中に延長引き分けに持ち込んだ。これで、チームの士気が上がった。荒木は10月、優勝が決まる時に2勝して大きく貢献した。
▽日陰にいた者を人間性重視から花咲かす
 飯田、橋上、荒木らは、野村から「己を知れ」と言われたことが、彼らの考えを大きく変えた。自分は漠然と野球をやってきたが、一番力を出せるのはどのポジションで、どうやって投げて打つか、それを監督からよく見つめろとただされた。野村の助言を受け、それぞれが自己判断し工夫し、血のにじむような練習を重ねて試合でヒーローにもなれた。
 人間性を重視して技量を見ないから監督失格だ、と私に語りながら、監督に就いた野村である。ヤクルトで、選手の人間としての努力、工夫をよく観察し、なおかつ勝つために選手を改造して戦力アップに努めた。選手の「配置転換」を成功させたのは、監督の指導方針である人間性重視から出た大きな収穫である。
 実際に選手を変えさせたのは一部であっても、大振りのような無駄な作法を捨て、自分の素質にあった野球を身に着けることこそ、上達する方法であり考える野球なのだ、と全選手に意識させる効果を生んだ。逆説的いえば、監督失格者としての考え方が、日陰にいては花を咲かせることができない者を転向によって花を咲かせたのである。野村の理想とする方法ではないが、思想的には当てはまるのである。この野村流の考え方は、これから補足的に説明していきたい。(続)