◎甲子園の一握の土

 2020年の高校球界は、新型コロナウィルスの影響をもろに受け、イレギュラーな1年となった、春の選抜は中止となり、その出場校は8月に「交流試合」と銘打って甲子園球場でのプレーをした。夏の選手権は予選から中止。その後、都道府県は「独自大会」として決勝まで行った。
 むろん、選抜と選手権が感染病で取りやめになったのは、初めてのことである。夢と希望を砕かれた高校球児に対し、甲子園球場をホームグラウンドとする阪神タイガースが“甲子園の土”を贈った。
 そんな騒ぎが収まったころ、甲子園の優勝投手と知られた福島一雄さんが亡くなった(8月27日)。1947年夏、小倉中のエースとして優勝。翌48年は小倉高のエースとして5試合完封の快投で優勝。お分かりのように戦後の学制改革をまたいで連覇した。
 51年(校名は小倉北)、夏の3連覇を目指したが、準々決勝で負けた。振り向いてスコアボードを見る姿は「美しき敗者」として語り伝えられた。そして ホームプレート付近の土を一握り持つと、ユニホームのポケットに入れた。これが甲子園の土を持ち帰る最初といわれている。今のように選手全員がスパイクケースに詰め込むのとは違い、感動的である。
 69年夏、投手プレートの土を取った投手がいた。青森・三沢高の太田幸司である。決勝で松山商とあたり、延長18回引き分け、再試合の末に敗れた球史に残る熱戦の主役として残る。
 あの黒っぽい甲子園の土は、高校球児の「甲子園に出場した証」だった。言葉を変えれば、厳しい練習を克服した「努力の証明」である。(菅谷 齊=共同通信)