「いつか来た記者道」(31)-(露久保孝一=産経)
◎正月大会を楽しんだプロ野球
2020年の日本シリーズは、新型コロナウイルス感染影響により例年より大幅に遅く実施される。11月21日に開幕し、最大で同月29日まで開催される予定である。前年は10月19日から23日まで戦われ、工藤公康監督のソフトバンクが巨人に4連勝した。その日程より20年は1カ月以上遅く、寒い季節の決戦となる。
幸い、シリーズに進出するチームの球場は屋根付きのドームとなっており、寒さにブルブル震えてのプレーと試合観戦とはならないが、仮に吹きさらしの球場となれば、「寒くて野球にならない」というブーイングがでそうである。しかし、11月のシリーズ開催と聞いても、かつての名選手はこう高い笑いするに違いない。
「そんな季節だって、野球をやるのは当たり前だ。われわれの時は、冬だって野球をやっていたんだよ」。往年の別所毅彦や杉下茂投手らは、そう言っていた。「寒い冬だって、ちゃんと速球を投げたんだ」というのである。
▽秋のオープン戦のあとに新春試合
現在のプロ球界には、「オフ」という言葉がある。12月から翌1月末まで、プレーヤーは選手契約によりチームの管轄外にあり、自由な行動が可能なオフシーズンになるのだ。
約70年前の1950(昭和25)年頃は、冬でも野球が行われた。49年は、大リーグのサンフランシスコ・シールズが10月に来日し、日本選抜チームと2週間対戦した。その影響を受け、セ・リーグは11月29日が公式戦終了となる。
そのあと、「秋のオープン戦」に入った。開幕をにらんだ春のオープン戦と違って、秋のオープン戦は戦力強化をめざした若手主体の試練の場である。12月の寒風を受けながらの試合でも、全選手が「熱く燃えてプレーした」と当時の選手は語る。
阪神の歴史から見てみよう。12月25日に甲子園で巨人と戦い、秋のオープン戦は終った。しかし、これにて野球は休み、とはいかない。なんと「正月大会」が控えていたのだ。
50年1月2日に西宮球場で南海と試合し、翌3日に同球場で阪急戦、4日から甲子園で6日まで計5連戦を行った。この頃のオープン戦は、興行収入は球団と選手側が分配したので、選手にもありがたい臨時収入があった。正月大会が終わると、やっと選手はオフになり、どっさりお土産を買って、故郷に帰っていったのである。
▽オフの過ごした方の参考に?
こんな話を聞けば、別世界での出来事と感じる人も多いと思うが、正月野球が行われたのは実話なのである。当時は、野球の文明は進化しておらず、道具も貧弱だったが、選手たちは寒さに負けず戦った。そこには、機械やコンピューターとは違った人間主体の闘争と工夫、忍耐があった。そこから大投手、大打者、技巧派選手が生まれた。
20年のコロナ禍の中の野球からは、いろんな教訓が生まれるはずである。70年前の「一年中野球」のシステムとファンサービスを、人気復活のために参考にしてもいいのではないかと思うのである。(続)