「100年の道のり」(34)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎7球団がそろい、プロ野球がスタート
巨人軍の全国遠征は野球熱に十分応えるもので、愛好家はプロ野球の発足を後押しした。「時代が求めている」と。
正力松太郎はこの機を逃さなかった。大阪、名古屋、福岡など主要都市のチーム設立に動いた。1936年のスタートを目指した。7球団がそろい、リーグ戦の形が整った。
7球団の創立と親会社は次の通り。
・34年12月26日 東京巨人(読売新聞)
・35年12月10日 大阪タイガース(阪神電鉄)
・36年 1月15日 名古屋(新愛知新聞)
・36年 1月17日 東京セネタース(西武電鉄)
・36年 1月23日 阪急(阪急電鉄)
・36年 2月15日 大東京(国民新聞)
・36年 2月28日 名古屋金鯱(名古屋新聞)
日本職業野球連盟が結成され。綱領が作られた。
①野球の真の精神を発揮し、国民の精神の健全な発達に協力する
②フェアプレーの精神を守り、模範的試合を行う
③日本野球を発達させることにより世界選手権の獲得を目指す
7球団が連盟に登録した選手は118名を数えた。最初の監督と主将は次の通りである。
・東京巨人 浅沼誉夫・津田四郎
・大阪タイガース 森 茂雄・松木謙治郎
・名古屋 池田 豊・桝 嘉一
・東京セネタース 横沢三郎・大貫 賢
・阪急 三宅大輔・宮武三郎
・大東京 伊藤勝三・水谷則一
・名古屋金鯱 岡田源三郎・黒田健吾
プロ野球のチーム同士で最初に行われたのが36年2月9日からの巨人-金鯱3連戦。場所は名古屋郊外の鳴海球場だった。
出場メンバーを見ると、球史に残る選手が出ている。巨人のは「沢村賞」としてその名を残すエースの沢村栄治、初の三冠王となった中島治康、監督として巨人の第2期黄金時代をつくった水原茂。金鯱は中日、ロッテ監督となった濃人渉、セ・リーグ審判部長となった島秀之助らである。
第1戦は金鯱が10-3で歴史的勝利を飾り、第2、3戦は巨人が8-3、4-2で連勝した。巨人はこの後、第2回米国遠征に出た。(続)