「菊とペン」-(菊地 順一=デイリースポーツ)

私がプロ野球記者として表に出たのは1970年代後半からである。初めて担当したのは大洋(現ÐeNA)である。当時の監督は土井淳さんで、次が関根潤三さん、そして近藤貞雄さんだった。3人の監督さんにはそれぞれ思い出があるが、今回は遠征中に大汗をかいた一件を。
 当時、中日戦のある名古屋に遠征するのが楽しみだった。実は私、大の映画ファンである。学生時代は名画座通いをしてろくに大学の授業にも出なかったほどで、現在のようにDVDが借りられる時代だったらどうなっていたか。考えるだけでおそろしい。
 で、名古屋である。当時はロードショーの2本立てをやっていた。東京ではもちろん1本立てで、1本分の料金で2本観れるのだから、これはもう断然お得感があった。
 その日は3連戦最後、日曜日のナイターである。午前中の早い時間に映画館に行けば2本終わったころにチームが宿舎を出る時間になる。2時前後だ。お昼過ぎにデスクに連絡する決まりになっていたが、宿舎で取材していたと言えばいい。高をくくっていた。
 2本堪能して映画館を出た瞬間、「エッ!」と絶句した。土砂降りの大雨である。映画館に入る前は気持ちのいい晴天だった。この時、先輩の助言を思い出した。「名古屋は天気が変わりやすいから気を付けろよ」。何を根拠に言ったのかわからないが、とりあえず球場に電話である。当時、携帯なんて代物は
ない。すでに雨天中止決定である。
 デスクに電話をする。「遅かったな」の第一声の後、こう続いた。妙に優しい声音だ。雨天中止を知っている。
 「宿舎で取材していたんだろう。今日は紙面が甘い。40~50行くらいもらおうか」。言い訳をする前に先手を取られた。「ハイ」と答えるしかない。
 大洋の宿舎に電話をする。まだ居てくれ。ところが、無情にも「もうとっくに出られましたよ」。どうやら映画館に入った頃から雨が降り始めたらしい。万事休す。自分の宿舎に戻って帰り支度をする。新幹線に飛び乗るが、時間は刻一刻と過ぎて行く。
 もちろん、デスクに電話はしない。手持ちのネタが皆無である。東京駅に着いて主力選手に電話するが、だれも出ない。東京近辺は晴れている。どうやら、突然のオフに家族サービスのようである。こうなりゃ、待ち伏せしかない。ターゲットにしたのは山下大輔さんである。スターながら優しい性格で、どんな質問にも答えてくれる。頼みの綱は不在だった。オフでもないのに家の前で張り込みである。なかなか帰ってこない。
この時代、携帯があったら、着信拒否にしていただろう。帰ってきたのは9時過ぎではなかったか。山下さんはビックリ。「そういえば宿舎にみんな(記者)いたのに君だけいなかったね」。事情を話すと、笑いながら、それでもネタになることを話してくれた。
 大急ぎで原稿を仕上げる。怒られるのを覚悟でデスクに電話する。「オイオイ、どうしたんだ」と言われて、モニョモニョと何か言い訳をした記憶がある。
 だが、変である。怒らない。こちらの報告を黙って聞いている。だれかに電話で原稿を取ってもらおうとお願いしようとすると「雑感でいいよ」。ニュースが入ったようで、紙面はすでに固まっていた。デスクも保険をかけていたのだろう。時間も時間だった。むしろ邪魔だったようである。
 一息突いて電車に乗った。荷物も重かったが妙に疲れていた。以来、遠征先で試合前に映画を観ることは止めた。(了)