◎エースの曲がり角、三十路の道-(菅谷 齊=共同通信)

「そうか、もう30男になったのか…」
いま一つ調子の上がらない楽天の田中将大と巨人の菅野智之を見て、そう気づいた。ヤンキースから戻って来た田中に対し、菅野は大リーグ行きを断念して残留。2021年のプロ野球はこの二人が注目されていたが、夏までの投球はこれまでの彼ららしくない。
 田中は1988年11月1日生まれだから32歳。菅野は1年下の89年10月11日生まれの31歳。いい歳になっている。落ち着いた雰囲気を醸し出しているのは投球術を駆使する年齢からなのだろう。
 三十路を迎えると陰りがうかがえるようである。過去の大投手の30歳過ぎ時点を振り返ってみると、その多くは曲がり角に立っていた。
 たとえば400勝の“黄金の左腕”こと金田正一。31歳のとき国鉄から巨人に移籍した65年、予想外の11勝だった。63年30勝、64年27勝で14年連続20勝以上を挙げていたのが止まった。巨人在籍5年で47勝、信じられないシーズン9勝平均である。
 阪急の米田哲也は“ガソリンタンク”の異名を取った剛速球投手だった。それが30歳のとき29勝(8度目の20勝)でMVPを獲得したものの、翌年以後、10年間投げたが2度と20勝に届かなかった。
 長嶋茂雄のライバルだった阪神の村山実。この“ザトペック投法”と呼ばれた熱血漢は25勝、24勝で2年連続最多勝だったのが、30歳になった翌67年からは20勝とは縁がなくなった。近鉄の鈴木啓示、阪急の山田久志、巨人の堀内恒夫らも同じような道を辿った。
 極端だったのは西鉄の稲尾和久。30歳になった67年からはシーズン10勝もできなかった。通算325勝のうち300勝以上を20代までに稼いでいる。伝説の“神様仏様稲尾様”はプロ入り実質8年で燃え尽きていた。
 同じ200勝投手でも長く安定していたのは主に西武で活躍した東尾修と工藤公康。ともに30代になってから100勝以上を挙げた。現役投手にとって参考にすべき先輩だろう。29シーズンに渡って投げ続けた中日の山本昌は30歳過ぎから実力発揮で、真似のしようがない長寿である。
 30歳過ぎが多くのエースの曲がり角になっている。田中、菅野は今後、どんな三十路を歩むのだろうか。(了)