「菊とペン」-(菊地 順一=デイリースポーツ)
◎「ヤクザでもあそこまでは…」
昼下がりの編集局、目の前の電話が鳴った。出かける矢先だったが反射的に取った。「もしもし…」低く、それでいて威圧的な声だった。抗議の電話であると察知した。
「きょうの記事だけどな。オレは世間様がいうところのヤクザ稼業だが、さすがにあそこまでひでえことはしないぞ…」
1982年9月1日だった。前夜、横浜スタジアムの大洋対阪神戦で事件が起こった。夏休み最後の日、阪神の黒歴史を数ページ割く、いわゆる「島野・柴田暴行事件」だ。
七回表、阪神の先頭打者・藤田平は三塁前に飛球を上げた。三塁の石橋貢が捕球しようとしたが後方のフェアゾーンに落ちて三本間のファウルラインを越えて、ファウルゾーンに転がった。
三塁・鷲谷塁審はファウルボールと判定したが、阪神・河野三塁ベースコーチが「石橋のグラブに触れている。フェアだ」と抗議した。球場は異様な盛り上がりを見せた。
この抗議にまず一塁ベースコーチの島野育夫が駆け付け、ベンチからは柴田猛コーチが脱兎のごとく飛び出した。阪神ナインも続々と押し掛け、三塁ファウルゾーンで鷲谷審判を囲む輪ができた。
大洋担当だった私は記者席にいた。各社のトラ番記者が記者席を占拠しているような状態で、ここも異様な雰囲気だった。
そしてとうとう…島野、柴田の両コーチが鷲谷審判を捕まえて殴る、蹴るの暴行が始まった。それはもうすごかった。記者席がどよめいた。止めに入った岡田球審も暴行の標的となった。興奮したファンが怒声、罵声を飛ばす。もう野球場ではない。
岡田球審はグラウンドにうずくまり、「やってられるか」とばかりにプロテクターをたたきつけた。岡田球審は審判団を引き揚げさせた。両コーチは退場だ。
阪神の安藤監督が審判団に謝罪して騒ぎは約10分後に収まった。審判団、一時は没収試合を検討したというが夏休み最後の試合である。球場は超満員だった。お客さんを優先して再開となった。
40年経ったいまでもあの殴る・蹴るのシーンはよく覚えている。岡田球審の怒りの形相、そしてデスクからの「オイ、一面だぞ。時間がない。早く書けの」指示も。
なにをどう取材したか覚えていないが、なぜか筆が踊ったことだけは確かで、いまなら使えない言葉のオンパレードで「まるでヤクザのような暴行劇だった」とヤクザ・暴力団のフレーズが多数登場した。
で、翌日の自称ヤクザからの電話である。私、「そうですか」「ハイハイ」と相槌を打って刺激しないように努めた。最後に「ああいうことをやったのだから厳しく罰してもらわないとな」という意見を残して電話は切れた。
自称ヤクザもビックリした「島野・柴田暴行事件」、どれほどのものだったか分かるだろう。テレビ中継されており、世論も沸騰。両コーチは「無期限出場停止処分」となり、後日、傷害罪で略式起訴され罰金となった。
たまに乱闘シーンにお目にかかることがあるが、この一件はレベルが違った。
なお試合は事件のきっかけを作った藤田平が九回に2点本塁打を放って阪神が3対1で勝った。(了)