第45回 Mr.アンダースロー- (島田健=日本経済)

◎大御所の売れるきっかけ
▽最初は形態模写
明石家さんまは、ビートたけし、タモリと並んでお笑い界のビッグ3と言われる大御所。とにかくよく喋るのが特徴だが、売れるきっかけはしゃべりではなかった。落語家を目指して二代目笑福亭松之助に弟子入り、師匠の推薦で漫談家としてデビューした。
だが、すぐには売れない。兄弟子と組んだ漫才で披露した野球選手の形態模写がようやく受けた。阪神では掛布雅之、巨人では一番から八番まで真似し、九番小林繁投手で最高の笑いをとった。
▽空白の一日でさらなる人気
1979(昭和54)年、「空白の一日」事件が起きる。江川卓を巨人に入団させるための超法規的措置で小林は阪神にトレードされた。判官贔屓の上、小林が巨人相手に8連勝の快投など22勝を挙げる活躍で、さんまの形態模写のリクエストも増えた。 
それに乗るのが芸能界の本領だろう。9月には2曲からなるドーナツ盤がリリースされた。この曲(作詞=阿蓮赤、作曲=藤山節雄)がヒットしたかどうかは不明だが、さんまが東京に売り込みに行ってもさっぱり反応がなかったというのは事実らしい。
▽内容は本格派
「エースというのは つらいものさ いつも勝たなきゃ ならない 背中に冷や汗 流れても打たせない」「明日を信じて 燃え尽きろ 頼れるエースは アンダースロー」
歌詞は正統、本格派である。悪くいえば普通だが、あのハスキーな声で歌唱も結構まともである。一つ野球ファンから入れる突っ込みは「小林ってサイドスローじゃなかったっけ」ぐらいだ。
▽コンビは解散
形態模写で人気が上がった漫才コンビも、さんまはピン芸人志向で解散。しかし、持ち前のしゃべくりで芸人としての価値をどんどん高めて行ったのはご存じの通りである。歳が増えてもサービス精神は変わらず、野球に関するイベントでたまに小林の真似を披露してくれるのは楽しい。初心は忘れていないようだ。
それにしても巨人の一番から九番までの形態模写で一般大衆や若者を沸かせることができたことが素晴らしい。巨人もプロ野球も当時はすごい人気があったのである。
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