「100年の道のり」(58)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎英語ご法度の余波
1943年(昭和18年)は暗かった。野球界では大学のリーグ戦、社会人などが中止になった一方、プロ野球は細々と試合を続けるため、こんな条件を付けていた。
1、選手は18名とする
2、隠し球は禁止。「非日本的である」とのこと
3、選手は戦闘帽をかぶり、挙手の礼をする
4、野球用語の英語を日本語とする
背番号の洋数字は取り外され、ユニホームの色を国防色にする球団も現れた。なんとかリーグ戦を続けようとする球界の涙ぐましい国への忠誠といえた。
そのなかで球界もファンも戸惑ったのは野球用語の日本語化だった。“英語ご法度”なのだが、現代から振り返ると、思わず吹き出してしまう用語もあったけれども、同時に関係者の必死の努力がうかがえるものもあった。その例を紹介しておく。
・ストライク=正球 ボール=悪球
・セーフ=安全 アウト=無為
・フェアヒット=正打 ファウル=圏外
・ヒットエンドラン=走打 スクイズ=走軽打 スチール=奪塁
・アーンドラン=自責点 ボーク=擬投
・ホームイン=生還 インターフェア=妨害
・コーチ=監督 コーチャー=助令 マネージャー=幹事
・チーム=球団 ホームチーム=迎戦組 ビジターチーム=往戦組
・リーグ戦=総当戦 タイム=停止
審判はこう判定した。
・ストライクは1本、2本と数え「よしっ、1本」とし、ボールは1つ、2つと言う。三振のときは「それまで」。
スコアボードのストライクは「振」、ボールは「球」、アウトは「無為」と改められた。
すごい時代だった。コントみたいだった、と後年振り返った野球人がいたくらいで、野球の試合をしている気がしなかった、とも。
やがて戦局悪化とともに、軍部から「グラウンドで遊んでいる場合か」との声が出始め、ついに中止に追い込まれるのである。(続)