「菊とペン」(34)-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎審判員はつらいよ
 カタールで開催されているサッカーW杯をテレビ観戦している。4年に一度のお祭りである。試合も面白い。野球もそうだが、サッカーも審判員のジャッ
ジ1つで状況が大きく変わる。
生身の人間が瞬時に判定する。誤審があっても、それだってドラマだろうと思っていたが、「VAR」(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が出現して審判員をサポートする時代になった。明白な間違いをなくすためのシステムで得点かどうか、PKかどうか、退場かどうかなどに使われる。いまさらながら時代は刻々と変化していると思う。
 前置きが長くなりました。実は私、サッカーの4級審判員の資格を持っている。取ったのは1990年代後半である。当時小学生の息子が地元の少年チームに入っており、たまたま試合を見に行った折に私の同年代のオヤジたちに「手伝ってよ。一緒にやろうよ」と誘われたのだ。子供たちを教えるために最低の資
格である4級を取る必要があった。もちろん、ボランティアである。
 サッカーはほとんど経験がなかった。試合は常に日曜日である。一度は断ったが、オヤジたちはコーチ業に燃えていた。それに聞けば試合後は反省会と称して「飲み会」があるという。これが決め手となった。
 4級審判員は自動車運転で言えば“仮免”である。丸一日近くの高校のグラウンドで講習を受けた。講師は1986年のW杯で日本人初の主審を務めた高田静夫さんだった。講習を受けて費用を払えばだれでも取れた。数日して認定証が送られてきた。イエロー・レッドカードが数枚入っていた。
 だが、私は審判員をやるつもりはなかった。裏方で充分だった。息子のプレーを近くで観戦できれば満足だったのである。
 ところが4級を持つとそうはいかない。徐々に要求が厳しくなっていった。最初は線審である。次は1・2年生の試合で笛を吹いてくれとなった。主審である。1・2年生ならかわいいもので極力笛を吹かずにプレーさせた。オフサイドもなにもあったものではない。集団でボールに群がって蹴っている。
しかし、これが3・4年生となると結構動きが速い。いまのはどちらがファウルだ? タッチラインを割ったのはどっちだ? 朝が早い。40代に突入して、前夜デスクの時は眠くて仕方がない。不摂生ですぐに走れなくなる。 
 そんな時、ついに5・6年生チームの主審が回ってきた。これがまた3・4年生とは比べものにならないほど早い。最初のファウルの判定でつまずいた。観戦していた父兄たちから「エエッ」という抗議の声が起こった。試合が進むにつ
れ両チームから抗議の声が激しくなった。「ヘタクソっ」「どこを見ているんだ!」
「違うだろっ!」。観客席は近い。罵詈雑言が丸聞こえである。
 さすがに頭にきた。私なりに一生懸命やっていたし、最大限集中していた。前半が終了し、注意しようとして父兄席に行った。なんか様子がおかしい。缶ビールやらウーロン茶のペットボトルが転がっている。大きな焼酎のビンがあった。皆さん昼から一杯やって息子のサッカー観戦である。上品な山の手ではない。下町である。日曜日の過ごし方としては最高か。ストレス解消にもなる。すでに出来上がっていたようだ。
 その時、頭に昇った血はスッと下に降りていった。やばい、やばい。ここで何かを言ったら騒動必至である。父兄席に向かう足を止めて回れ右をした。その試合の後のことは覚えていない。覚えているのは以後、私の主審担当が1・2年生になったことである。
 で、なにが言いたいか。時に世界中のサッカーファンからブーイングを浴びる審判員の方々、それなりの報酬を得ているのでしょうが大変ですね。本当にご苦労さんです。頑張ってください。陰ながら応援していますよ(この稿
を書いているのは11月下旬です)。(了)