「菊とペン」(38)-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎今年も書きます、開幕戦の思い出
大谷翔平に始まり、大谷で終わったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だった。日本中が歓喜で沸いた。待ちに待ったプロ野球が開幕した。これを弾みに盛り上がってほしい。
さて開幕戦が単なる「143(試合数)分の1」ではなく、とてつもなく大きな価値を持つことがある。典型例がある。
1990年4月7日、東京ドームでの巨人対ヤクルトの開幕戦、いわゆる篠塚利夫(現和典)の「疑惑のホームラン」だ。
野村克也さんがヤクルトを率いての1年目だった。ヤクルトが2点リードして迎えた8回裏の1死二塁、ここで登場した篠塚がヤクルトの先発・内藤尚行の初球を強振した。打球は右翼ファウルゾーンに飛び込んだ…。
記者席での私はそう見えたし、だれもが同じだったに違いない。だが大里晴信一塁塁審は迷った挙句に右手をグルグルと回した。テレビ中継の映像でも明らかだった。
マウンドの内藤が崩れ落ちた。涙目で「ファウルでしょ、あれ」と叫んだ。
右翼の柳田浩一が抗議、ノムさんも三塁ベンチを飛び出して審判団に詰め寄った。
こうしちゃいられない。私は問題の地点に猛ダッシュした。すさまじい喧騒の中での取材となった。
ファンの大半はファウルと証言した。もっとも歯切れが悪かったが。巨人ファンはノムさんの抗議に殺気立っていた。「ホームラン、ホームラン」の大合唱、オレンジ色のメガホンを回して絶叫していた。
何人かの巨人ファンにすごまれた。「余計なことを聞くなよ。ホームランだ!」「審判が手を回した。ホームランに決まっている!」
身の危険を感じた。これ以上いたら群衆心理でなにをされるか分からない。慌てて記者席に戻った。
当時は「リプレー検証」なんてない。もちろん、ノムさんの抗議は実らない。呆れたような表情でベンチに引き上げた。
この一発が効いた。試合は延長14回まで進み、巨人が押し出しでサヨナラ勝ちした。ノムさんが吐き捨てた。
「巨人は強いはずだよ」
翌日もまた延長戦となったが、12回裏に木田優夫投手がサヨナラ本塁打を放つ。巨人の藤田監督は代打を送らず、「超万馬券」となった。プロ4年目の21歳、木田にとって初安打だった。
開幕戦の「疑惑の本塁打」で勢いづいた巨人は開幕5連勝し、4月を14勝5敗とロケットスタートした。
この年はさらに勢いが増して最終的に2位・広島に22ゲーム差を付ける大独走でⅤ2を達成、藤田さんは9月8日、宙に舞った。
振り返れば、セ・リーグでは審判4人制がスタート、外野の線審が2人いなくなり、際どい打球への判定が不安視されていた。その矢先の出来事だった。
だが、巨人は西武との日本シリーズで31年ぶりの4タテを食らった。優勝決定からシリーズまで1カ月半も空いて緊張感を失っていた。
野球の神様も案外公平なんだな。当時、こう思った記憶がある。
オフに2023年の開幕戦を振り返ってなにを思うか。いまから楽しみである。(了)