「100年の道のり」(68)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎歴史的大差、スコア26-0
 ペナントレース再開となった1946年(昭和21年)は、8チームのうち上位3チームの争いだった。グレートリング、巨人、阪神である。残る阪急、セネタース、ゴールドスター、パシフィック、中部日本の戦力は見劣りした。
 優勝したグレートリングの強さを示したのがスコア26-0でゴールドスターに大勝した一戦だった。
 ゴールドスター 000000000 0 敗戦投手=江田孝
 グレートリング 020162312X 26 勝利投手=別所昭
 ▽本塁打=堀井数男2、筒井敬三、宮崎仁郎、河西敏雄、別所昭
 安打はゴールドスター7に対しグレートリングは28(本塁打6、三塁打1、二塁打4)と文字通り打ちまくった。
完封した別所は本塁打、三塁打、シングルの3安打を放ち、二塁打を打てばサイクル安打だった。1番の河西は7打数6安打を記録した。1試合6本塁打、28安打52塁打、河西の6安打の新記録や1イニング12点、1イニング11安打のタイ記録が続出した試合として球史の記録に残る。
 この試合は7月15日、富山県高岡市で行われたもので、グラウンドは高岡高等工業専門学校の裏側にあるスタンド付き。5000人ほどのファンが詰めかけた。1時間40分という短さの試合だった。
 グレートリングとゴールドスターは阪神、セネタースとともに4球団で北陸遠征に出かけた。13-14日に金沢で行っている。地方遠征は4球団で移動し、リーグ戦形式で消化した。その3日間の成績は阪神3勝、グレートリング2勝1敗、セネタース1勝2敗、ゴールドスター3敗。
 グレートリングの別所は滝川中時代、甲子園の選抜大会で骨折しながら投げ負けたのだが、新聞は「泣くな別所、選抜の花」とたたえた。南海に入団してエースとなり、のち毅彦と改名、巨人に移籍し300勝投手に上り詰めた。
 グレートリングと最後まで優勝を競ったのが巨人。最終戦で下位チームに不覚を取り、1ゲーム差で2位となった。(続)