「いつか来た記者道」(65)-(露久保孝一=産経)

◎神様、仏様、伊奈様が元祖?
 神様はどこへ消えてしまったのか? そんな嘆きの声が出るほど、2023年のプロ野球界はスーパーヒーローの不在の年だった。
22年は、ヤクルト・村上宗隆が史上最年少の三冠王に輝き、リーグ連覇に大貢献して「神様、仏様、村神様」とマスコミに崇められた。明けて23年も、村上は新たな成長のバッティングを、と期待された。しかし、ファンには寂しい数字しか残せなかった。打率.256(22年.318)、31本塁打(同56)、打点84(同134)である。かくして、ニュー村神様は幻に終わってしまった。
 村神様とは、むろん「神様、仏様、稲尾様」に倣った異名である。「神がかり的」英雄として語り継がれている稲尾様とは、ご存じ、稲尾和久投手である。西鉄ライオンズのエースだった稲尾は、巨人との日本シリーズでチーム3連敗のあと4連投してチームを日本一の座に押し上げた(1958=昭和33年)。年間最多勝タイの42勝をあげ(1961年)、新人から8年連続20勝以上の「鉄腕」を発揮し続けた。
 地元紙が「神様、仏様、稲尾様」と書き、この言葉が広まる。稲尾はその声に応え最強軍団の時代をリードした。まさに、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれるにふさわしい豪傑、偉人の功績を残したのである。
▽家康に仕え事業成功させて農民の神に
 と、世の誰もがそう思っていたところに、もっと昔にそういう人物がいたという説が現れた。江戸時代に「神様、仏様、伊奈様」と呼ばれるのにふさわし名代官がいた、と著したのは東大史料編纂所教授の本郷和人さんである(23年10月12日産経新聞)。「伊奈様」とは伊奈忠次を指し、徳川家康の国づくりを支えて数々の事業を成功させ、農民に慕われた手腕家だ。
 本郷さんによれば、忠次は関東代官頭として民政の面で家康の関東支配に尽した。関東の検地を進め、農民に桑・楮(こうぞ)・麻の栽培を奨励し、蚕糸や製塩を教えたという。家康に利根川の流れを変える大工事を命じられ、孫の代までかかって工事を成功させた。忠次はこれだけの事績を残して農民から褒め称えられ、まさに「神様」と崇拝されるエピソードを残している。伊奈一族への敬慕は茨城県の「伊奈町」という町名にもなっている。
▽熱きドラマ「村神様」を待っている
 やはり、神がかりの偉業をおこなうには「持続する力」が必要なのだ。「神様、仏様、伊奈様」が元祖とするなら、家康の威光が影響している。西鉄ライオンズでいえば家康は三原脩監督で、忠次は稲尾であろう。庶民やファンの夢と期待に応えるために、一族(組織、チーム)はたゆまぬ努力を積み重ね、偉業を成し遂げて幸せと感動をもたらしていく。
 23年のNHK大河ドラマは「どうする家康」であった。ヤクルトの村上は「村神」の復権をかけて、本塁打量産の熱血ドラマを再構築しなければならない。24年、「どうする村上」。(続)