「100年の道のり」(71)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎1年で消えたグレートリングの謎
 南海軍などと名乗っていたチームが戦後再開したとき、近畿グレートリングと衣替えしてリーグ戦に参加した。1946年(昭和21年)のことである。
 この年、球団創立9年目だった。プレーイングマネジャー山本一人(のち鶴岡)の活躍で初優勝を飾った。戦後プロ野球の最初のチャンピオンだった。山本はMVPに選ばれ、河西俊雄が盗塁王になった。
 試合があると、奇妙な雰囲気に包まれた。球場に観戦に来た米国の兵隊(進駐軍)たちが奇声を発したり、笑いこけるのだった。球団職員はその意味を知って大慌てになり、幹部に報告した。その理由を「南海 球団40年史」のなかで説明している。
 「このニックネームは意外な反響を呼んだ。(米国では性的スラングとあって)兵士たちは大喜び。日本人ファンは理解できず、目を白黒させたものだった」
 球団はグレート(大)とリング(輪)で「大きな輪」「大きな和」と言う意味を持って鉄道会社らしく命名したのである。ところがとんでもない赤っ恥をかくことになり、1シーズンで脱線して消えた。
 巨人を押しのけて優勝したグレートリングは、試合でもさまざまなエピソードを残した。6月のセネタース戦で4連続押し出しを記録した。相手のエース黒尾重明が3、もう一つは青バットの天才打者として知られる大下弘の二刀流だった。
 8月の阪急戦ではたった2安打だったのに、13安打されながら4-2で勝った。2-2で迎えた8回表二死から四球の走者が二盗し、次打者の三塁ゴロトンネルで生還。さらに投手のけん制悪送球で2点を挙げた。
 翌47年に南海ホークスとなり一時代を築いた。ソフトバンクの前身である。(了)