「いつか来た記者道」(68)-(露久保孝一=産経)
◎巨人か阪神か台湾か、リーグ優勝争い過熱!?
2024年は、アメリカとロシアの大統領選がおこなわれるなど、政治的な激動の年であると予測されている。その選挙イヤーの先陣を切って1月に台湾で総統選があり、新しいリーダーに頼清徳氏が選ばれた。頼氏は、知日派であり大の野球ファンとしても知られている。日台の絆を強めるために、将来、台湾のチームが日本のプロ野球リーグに参加できれば面白い、と話している。
台湾は第2次世界大戦の前から野球がさかんで、高校チームが甲子園で準優勝した輝かしい歴史がある。その伝統ある野球愛好国の台湾のプロチームが、日本のリーグに加われば、野球はさらに魅力を増す。台湾がセ・リーグに所属するなら、優勝は巨人か阪神か台湾か、あるいはパなら、台湾がソフトバンク、ロッテと優勝争い―なんていう熱戦が見られるかもしれない。
▽頼総統の夢、台湾チームが日本に参加を
私はこの連載で2度、台湾野球の偉業と歴史について書いている(第5回、第63回)。その足跡を簡単に繰り返せば、次のような出来事があった。高校野球で、台湾チームの嘉義(かぎ)農林学校が1931(昭和6)年、甲子園夏の大会で準優勝した。この快挙は『KANO~1931海の向こうの甲子園~』(2015年公開)として映画化され、王貞治さんも顧問として製作に参加している。
台湾球児は時代を経ても甲子園野球にあこがれ、2023年夏の大会では、高知中央高に「野球留学」した謝喬恩(シャ・チャオエン)外野手が、初戦で5打数3安打4打点と活躍して大きな拍手を浴びた。台湾ではプロ野球も人気があり、24年は1チーム増えて6球団でリーグ戦が戦われることになっている。
野球を愛する台湾にあって、頼総統も熱烈なファンのひとりなのだ。頼氏は21年8月、台湾南部・台南市で開かれた少年野球の祝典に参加した。50年前の1971年、米ペンシルベニア州で開かれたリトルリーグ・ワールドシリーズで「巨人少年野球チーム」(台湾では「台南市巨人少棒隊」と呼ぶ)が優勝しており、頼氏はその記念のイベントに駆け付けた。当時、副総統だった頼氏はあいさつの中で「50年前に、『巨人少年野球チーム』は市民の協力をえて世界王者になった。いま、台湾の高い工業テクノロジーと野球が一体となってこの優勝50周年のイベントを盛り上げてくれた。多くの野球ファンの記憶を呼び起こしてくれた」と述べ、少年野球界と市民と産業界に感謝した。
▽アジア・リーグ生まれ米大リーグに対抗?
頼氏の夢は、台湾チームの日本プロ野球リーグ参加にあるようだ。日台交流を促進する策として、その目玉に野球を据え、「台湾のチームが日本のプロ野球リーグに参加できれば面白い」と産経新聞の取材に答えている。
アジアには台湾のほか、韓国、フィリピンなど野球が人気の国もあり、将来アジア・リーグが誕生すれば、日本でのプロ野球は大きな発展をとげる。頼総統と同じく、日本の岸田文雄首相も広島ファンであるように野球に愛着を持っている。世界は戦争、内乱、社会混乱が激化しているが、「みんなで楽しむグローバル・ベースボール」が世の平和を取り戻す大きな力になるかもしれない。(続)