「菊とペン」(48)-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎球春到来に思う
球春到来である。プロ野球でキャンプやオープン戦は始まる時期で、球春、いまでは季語として認められている。いい言葉だ。
私、この言葉とともに思い出すキャンプ地は宮崎である。1980年代中頃から巨人を10年近く担当した。巨人のキャンプ地である宮崎にはそれなりの期間を滞在した。宿泊先は宮崎市内から離れた青島である。いまは宮崎市内派が多いそうだ。
ある日、他社の記者と交わした会話。
他「地元の人に聞いた話だが、夕方や夜は青島海岸に行かない方がいいらしいぞ」
私「なんで?」
他「ウロウロしているとどこかの国に連れ去られるらしい。特にアベックが狙われるそうだ。ウワサになっている」
私「ウワサ話か…」
北朝鮮による日本人の拉致が明るみに出たのはその数年後である。あの話は本当だったのか。妙に感心した記憶がある。
現在、担当記者の宿泊先は宮崎市内が多いと記したが、私が担当の頃はほとんどの社が青島滞在だった。
原稿を書き終えると、食事を摂るためレンタカーで宮崎市内に繰り出す。時には羽目を外して深夜2、3時まで飲む。仲間とよく顔を合わせた。帰りは代行を使う。
ところで王貞治さんが監督の時は巨人宿舎で朝、取材を兼ねてティータイムがあった。6時から7時の間だったと思う。
深夜まで飲んで自分の宿舎で寝たら起きることができない。巨人宿舎の近くにレンタカーを停めて短時間仮眠をとって足を運ぶ。
仲間の多くがそうだった。誰もが両目が赤い。喫茶ルームにみんなで集合すると、たちまちアルコールの匂いが充満した。さあ、これからという朝の清々しい時間にどんよりとした空気が流れている。
王さんが登場する。状況がすぐにわかる。またか…それでもイヤな顔ひとつせずに我々に対応した。王さんの人柄である。
キャンプ中の2月20日は長嶋茂雄さんの誕生日である。今年、88歳になる。いわゆる米寿である。
いまから28年前の96年、当時はデスクだったが、手伝いと称して第二次長嶋政権時代の宮崎キャンプを訪問した。
20日、ブルペンの一角に報道陣が集まり長嶋さんの還暦のお祝いをした。ミスターは赤いちゃんちゃんこに袖を通して言った。
「今日、初めての還暦を迎えまして」
初めての還暦という言い方がおかしかったのか。周囲がどっと沸いた。
この時、長嶋さんはエッという表情を見せたような気がする。
この言葉、長嶋さんの迷言・珍言という人が多いが、私は「名言」だと思う。
還暦は元の歴に還るという意味で、生まれ直しの年、赤ちゃんに戻る。第二の人生の始まりの年とも考えられてきた。
実際、2度目の還暦もある。120歳は大還暦と呼ばれるという。
長嶋さんはまた新たな気持ちで第2の人生に踏み出す。そんな決意だったのだろう。
当時は還暦というと、年を取ったイメージがあった。いまの60歳は若い。年寄りのイメージとかけ離れている。
ましてや現在「人生100年時代」を迎えている。60歳を過ぎても人生は長い。してみると、長嶋さんの言葉、いや名言は将来を見据えたものだった。こう理解している。
最近は寒いと理由を付けて日課の散歩をさぼるようになった。
球春到来。この時期になると昔に戻って宮崎に行きたい。取材が終わったら、焼酎のお湯割りを飲みながらたくわんをかじりたい。一瞬、血が騒ぐ。
だが、寒いと言っては散歩をさぼるようではダメだろう。各キャンプ地からの話題を楽しみにすることにした。(了)