「たそがれ野球ノート」(9)-(小林 秀一=共同通信)

◎懐かしいキャンプ航空便
いつの間にかプロ野球12球団のキャンプ地は沖縄と宮崎にまとまってしまった。かつては関西の有力球団阪神、阪急が高知を本拠地にし、さらに西武も乗り込んで、キャンプを取材する多くのメディアのベースは高知と宮崎に二分化された時期があった。半月以上にわたって出張先で生活を送る担当記者は、すっかりその地になじんで情も移ることから、「君は高知派?宮崎派?」なんて色分けもあったぐらいだ。
当時、高知、宮崎のキャンプ地を結ぶ航空便があった。ANAの一日一往復だったと記憶しているが、現在は存在しない路線だ。キャンプ取材には便利なルートなので、遊軍記者時代には何度か利用した。野球評論家や同業の報道関係者と乗り合わせることも多く、情報交換の場でもあった。さらにキャンプ見学のルートにもなっていて、野球ファンが乗り込んできたりもした。
キャンプ取材はプロ野球担当の記者にとって選手と同じように1シーズンを乗り切る基盤作りになっている。監督、選手だけでなくコーチや裏方の人たちとも個別に接する時間を容易に設けられることができ、人となりを知る貴重な場となった。この取材の蓄えがシーズン中に大いに役立つわけである。
長期出張に出てしまうことで家庭を置き去りにするという後ろめたさは確かにあった。しかし、会社を長期離れて仕事をする非日常の自由、何とも魅力的な日々だった。「キャンプがあるから1年間野球担当を続ける」と豪語した同僚もいた。「菊とペン」のコラムで菊地順一さんもキャンプでのエピソードに触れ、球春到来に血が騒ぐと振り返っていたが、筆者も語り始めたら尽きることがないほどの思い出がキャンプには残っている。(了)