「ノンプロ魂」(9)-(中島 章隆=毎日)

◎第3回 アマ球界随一の名将・大久保秀昭(下)
 「もうちょっと試合をしたかった。また来年、今度は予選があるから頑張ります」。ENEOSを率いる大久保秀昭がこう振り返ったのは2023年7月20日の東京ドームだ。史上初の3度目の連覇を狙った第94回都市対抗野球大会で、豊田市代表のトヨタ自動車に1-3で敗れ、横浜市代表ENEOSは2回戦で姿を消した。「また来年」のひと言に、社会人野球ならではの重みがこもる。
 大久保は2021年に出した「優勝請負人の導く力」(ベースボール・マガジン社)の中で、プロ野球と社会人野球の違いについて、「全力疾走」「1球への集中力」を例に挙げてこう書いている。
 <プロの場合は年間に143試合もありますから、毎試合、全球でそれをやろうとしてもなかなか難しい。どこかで気が抜けてしまうこともあるかもしれません。でも、社会人野球の年間の試合数は限られています。「負けたら終わり」の一発勝負。都市対抗なら、負けたら次は1年後です。>
 昨年の都市対抗では、ENEOSを破ったトヨタ自動車がその後も勝ち進み、7年ぶり2度目の優勝を飾った。大久保にとっては、トヨタ自動車に敗れた日から「1年後の雪辱」に向けた、新たな戦いがスタートしている。
 小学5年で神奈川県の「厚木リトル」で野球を始めた大久保。「多くの指導者から学んだことが私の土台になっている」と語る。厚木リトル・シニア時代の石黒忠監督、桐蔭学園高時代の土屋恵三郎監督、慶応大での前田祐吉監督、日本石油(現ENEOS)に入社してからは林裕幸、中葉伸二郎両監督の下で都市対抗優勝を経験し、五輪代表では川島勝司監督の下で銀メダルに輝いた。近鉄入団後は佐々木恭介、梨田昌孝監督の指導を受けた。
 多くのすぐれた指導者に出会うことができた大久保だが、とりわけ影響力が大きかったのは慶応大の前田監督だったという。前田が提唱した「エンジョイ・ベースボール」は、昨年夏の甲子園を制した慶応高の躍進でも脚光を浴びた。
 大久保は「エンジョイ・ベースボール」について、「明るく、楽しく、楽をして勝つ」ということではない、という。勝つために、うまくなるために創意工夫をする。毎日の練習を積み重ねる中で、思うようにいかない悩み、歯がゆさ、苦しさもある。その過程を乗り越えて勝ったとき、うまくなった時にこそ、エンジョイできる。汗や涙を流したり、我慢したりするだけではなく、楽しさの先にある達成感を覚えることで、また毎日の練習を積み重ねる持続性が生まれる。それこそが慶応の「エンジョイ・ベースボール」だ、と大久保は説く。
母校慶応大の監督として、またENEOSの監督として多くの栄冠に輝いた大久保ならではの含蓄に富んだ解説である。
 27歳でプロ野球の世界に飛び込んだ大久保。プロ野球選手としては思うような活躍はできなかったが、選手から裏方の球団職員、そしてコーチと、さまざまな経験を積んだ9年間が、指導者としての大久保の貴重な財産にもなっている。
いまから27年前、アマチュア球界のエリートコースを歩んできた大久保が「プロ」の道を選ばなくても、アマチュアを代表する指導者にはなっていただろう。だが、9年間のプロ生活が絶妙なスパイスとなり、栄養にもなって指導者としての大久保をひときわ輝かしい大輪の花に育て上げた。(この項終わり)