「野球とともにスポーツの内と外」(58)-(佐藤 彰雄=スポーツニッポン)

◎「108」に秘められているもの
 大みそか(12月31日)の夜。厳かにゴ~ンと鳴り響く年越し行事の「除夜の鐘」は「百八つ」撞(つ)かれます。なぜ「108」なのか? これは理由がハッキリと伝えられています。つまり「108」という数字は、一人の人間の内にある煩悩の数を意味し、その回数を撞くことで煩悩を消し去るということですね。
【煩悩(ぼんのう)】=「人の心身を煩(わずら)わし悩ませる一切の妄念」(広辞苑)
 では、一人の人間が抱える煩悩の数を「108」とする根拠は何か? 資料には、様々な説がある、とされ、そのうち“なるほど”と納得させられたのが「四苦八苦説」でした。「四苦=36」と「八苦=72」で「四苦八苦=108」-まったく人の一生は四苦八苦…身につまされます。ゆえに午前零時をはさんで旧年から新年にかけて撞かれる除夜の鐘。人々は新しい年こそは…と願うわけです。
▽身につまされる「四苦八苦」説
 今は広く知られていることと思いますが、野球で使用される硬式ボールの縫い目の数は「108」です。私はこれを野球担当の時代に先輩記者から教えられましたが、エッ、ホントですか? とさっそく数えてみたら確かに「108」あり、当時はあまり知られていなかったことでもあり、びっくりしたことを覚えています。ではなぜ「108」なのか? これは理由がハッキリしていないようですが、資料には「ボールの強度や寿命のためにもっともバランスがとれた縫い目の数」とありました。
 野球の発祥は米国ゆえに“煩悩の数”という仏教的な思考はあり得ないわけですが、縫い目の数の「108」は偶然だったにしても、私は野球に限らずさまざまなスポーツ分野で活動する選手個々に煩悩の数としての「108」は当てはまるのではないかと思います。
▽個々の内に棲む“魔女”たち
 以前の出来事です。1978年4月。中嶋常幸が世界最高峰のゴルフの祭典「マスターズ」(米ジョージア州オーガスタ)に初めて出場しました。コースの「オーガスタ・ナショナルGC」には“魔女”が棲むと言われ、世界のマスターたちを悩ませます。大会2日目。中嶋は13番(パー5)で5罰打を含む
11オン2パットの「13」を叩き、あえなく予選落ちしてしまいました。第1打をフェアウエー左側からグリーン手前にかけてヘビのようにくねって流れるクリークに入れたことによる大苦戦でした。
 中嶋はその後、青木功とともにマスターズの常連となりますが、この出来事を思い出して必ず言うことは「確かに“魔女”はいるんだよ。でも、それはコースではなく、ボクの内に…ネ」でした。たった一つの“欲目”が致命傷になってしまった怖さ-。
 3月を迎えてプロ野球界はいよいよシーズンに入ります。投手も打者も、白いボールに刻まれた赤い縫い目に潜む「108」人の魔女たちをいかに目覚めさせないか。“無心”こそが好不調のカギを握りますね。スポーツの勝負は、つまるところ自分のメンタルとの戦い、相手は自らの内にある“邪”なのですから…。(了)