第2回「長嶋茂雄、幻の大洋監督」(3)完

◎大洋監督断念、そして電撃巨人復帰

▽人生の師の思わぬ異見

ミスターが大洋入りを断ることは、ある程度覚悟していたが、現実のものとなると、ショックは言葉では表しがたい。もう何をするのもイヤになった。
 その夜、ミスターは共同通信を通じて「大洋の誘いをお断りする」という文を出して全てが終わった。
 後で聞いた話がある。
 一度は大洋のユニホームを着る決心をしたミスターは、人生の節目で必ず相談してきた4人の人たちにたずねた。
 「大洋のユニホームを着たいと思いますが-」
 ミスターとしては意見を伺うというより、了解を取る、というか、「またユニホームを着ますのでよろしく」という報告のつもりだったが、4人の意見は賛成、反対が2対2。思いもよらない結果が出た。「そうか、頑張れ」と言われるつもりが、違った。
 「これだけ野球をやって、まだやりたいのか。人生一度しかないのだから、残りは別のことをやった方がいいと思うが、どうだ」
 そういう考えの人が2人もいた。
 このうちの1人はミスターにとって父親のような大事な人だった。その人は野球ファンではなく、残念ながら、全国の人々がどのくらいミスターのカムバックを願っているか、分からなかったようだ。ミスターが悩み苦しんだのは、この意見に従うかどうかということで、考えに考えた末、人生の師の考えに従った。

▽巨人復帰の要因にJリーグの発足

2年半の歳月を費やした大洋の長嶋獲得作戦は、実を結ばないまま終わってしまった。日本中から嘆息聞こえてくるような結末でもあった。
 大洋は大魚を一度は釣り上げ、網に入れようとしたところで逃してしまっただけに、しばらくはあきらめきれなかったようだった。
 たいていの人は、監督就任の要請を受けると、考えることなく、「ついにオレにもチャンスが来た」と引き受ける。野球人にとっては、監督の座はそれほど魅力のあるポストだ。
 しかし、ミスターは難攻不落の城だった。その後、いくつかの球団が「長嶋さんを監督に迎えたい」と交渉したが、会談のテーブルに引き出すことさえできなかった。
 その長嶋茂雄が1992年10月、電撃的に巨人軍監督に復帰した。要請から決断までおよそ10日間。即断だった。
 これまでのミスターからは考えられないことだった。当時、サッカーのプロ化が進み、Jリーグとして発足。その開幕を控えていたことで、プロ野球界に新たなライバルの出現、弱くなってしまった巨人軍に、ミスターは危機感を持ち、さらに長嶋を求める全読売の声を無視できなかったからである。(了)