「プロ野球OB記者座談会」第5回      

「悪質な反則行為」か「暴力沙汰」か「勝利魂の昂揚」か(1)

◎乱闘事件に見る勝負の本質

「出席者」司会・露久保孝一(産経)高田実彦(東京中日スポーツ)菅谷齊(共同通信)真々田邦博(NHK)蛭間豊章(報知)山田収(報知)島田健(日本経済)田中勉(時事通信)西村欣也(朝日)岡田忠(朝日)荻野通久(日刊ゲンダイ)

司会・露久保 最近、スポーツ界では若手の躍進が目立つが、一方で悪質プレーが問題になっている。スポーツは勝利を求め激しく戦う競技であり、時として両軍の体を張った激突が生まれる。プロ野球の世界では、昭和時代に多くの乱闘事件が起き、社会問題にもなった。座談会は2部に分け、第1部は乱闘事件のあれこれ、第2部は乱闘事件への各記者の意見およびルールと反則行為について議論したい。
(敬称略。選手の所属チームは当時)

▽王への危険球、バッキーに投手生命縮める代償

露久保 かつて大きな乱闘として「バッキー対荒川事件」というものがあった。1968(昭和43)年9月18日、阪神のジーン・バッキーの死球投球をきっかけに同投手と巨人・荒川博コーチとの乱闘になった。当時、巨人担当だった高田さんはどう見たか?

高田 甲子園での試合だったので、僕は見ていない。しかし、テレビで見てあれは大変な事件だったと思った。阪神のエースだったバッキーの危険投球はひどかった。

菅谷 バッキーの投球は、最初から乱れていた。初回に王貞治と末次民夫に死球を与えている。4回、王にきわどい球を投げた。この投球に巨人ベンチが激高した。荒川コーチはマウンドまで行って、バッキーとパンチの応酬となった。バッキーは荒川をこぶしで殴ったときに手を痛めた。これが致命傷となり、その後の投球ができなくなった。乱闘の大きな代償だった。

露久保 荒川コーチは、王の一本足打法を生んだ師匠でもある。

菅谷 荒川は合気道をやっていたから、それで対抗した。あの時代は、殴られたら殴り返す。相手の選手に向かっていくのを止めるようなことはなかった。

真々田 阪神にとっては、バッキーの負傷離脱は大きかった。村山実、江夏豊、バッキーの三本柱は強力で、そのままこのシーズンを戦えば優勝し、巨人のV9も無かったとさえいわれた。だから、歴史的に大きな事件だった。

▽勝つために内角に投げた東尾

蛭間 昭和時代のプロ野球の乱闘事件は、テレビでもよく放送された。相手を潰してでも勝つという荒っぽさがあった。それは、WBC(ワールドベースボールクラシック)でも見られた。日本代表は、勝つということに執念を持っていた。そういう男っぽい野球をかつてはやっていた。最近は、それが無くっている。

山田 乱闘はしょうがない、と思う。メジャーリーグでも、激しくやっていた。きれい事でいうつもりはないが、乱闘は野球の一部という言い方には与しない。昔は、監督が“相手のバッターにぶつけろ”と言った。その考え方が通った時代であり、それが当たり前だったのだから、いまの時代の野球感覚とは違う。

田中 乱闘事件は、意図的なものから起こることが多い。西武に、打者によくぶつけた東尾修投手がいた。彼はコントロールがよかった。ぶつけることは避けられるピッチャーが、あえて内角を攻めてそれが打者の身体にぶつかる。内角攻めの技術は高等テクニックだ。ぶつけることはよくない。しかし、勝つためには・・・という投法だったのだ。

露久保 東尾は近鉄のデービスと乱闘事件を起こしている(1986年6月13日)。あの試合はたまたまテレビ中継され、大きな反響を呼んだ。

田中 デービスはぶつけられて怒り、東尾を殴った。両チームの大乱闘に発展した。やはり、東尾の与えた死球は群を抜いて多かった(通算165与死球で日本最多記録)。他チームから警戒されており、気の短いデービスは待ってましたとばかり、殴りに走ったという感じだった。

▽現在の禁止用語が飛び交った全盛時代

高田 乱闘事件は、往々にして伏線がある。その伏線が、意図的なものだから、相手に敵愾心を抱くようになる。

真々田 勝負は、勝つためにやるから相手を研究する。相手の弱点をさぐり、相手の強いところをくじくためにどうするか工夫を凝らす。それはチームにとって大事なこと。負けないためにどのチームも対策を練る。しかし、その研究が相手に対する反則行為なり、疑惑の危険投球に発展してしまうと結果は暴力となってしまう。それが、残念だ。

菅谷 ヤジもすごかった。阪急の中心打者は、セのエース投手に向かって出自を念頭に大声のヤジを飛ばした。ベンチはもちろん、付近のスタンドにも届いた。ある時は、凡プレーやノックアウトされた選手に向かって、今でいう禁止用語が飛び交った。それが新聞に載った。プロ野球全盛時代のもう一つの顔だ。

露久保 いまなら、アパルトヘイトや差別問題で大批判と議論が起きることは必至。その結果、そういうヤジはご法度になってしまう。

菅谷 新聞が書いて世間が面白がる。乱闘はそういう「時代」がつくったものでもある。乱闘の背後には、すさまじい闘魂野球があった。喧嘩腰での野球が、真剣勝負を生み、勝負にかける執念というものを前面に押し出して野球をやっていた。それに興奮するファンがついてきた。

▽内角に投げさせないために工夫する強打者

西村 バッターが死球受けたら、次は相手のキャッチャーを狙えというのがあった。ピッチャーが打者にぶつけるのは、キャッチャーの指示だというわけで、それはよく起きた。状況からみれば、仕方がないと思われていた。

岡田 死球で一番悪質なのは、打者の頭を狙うことだ。これは命にもかかわることになる。だから、頭部付近を狙えば、エキサイトするのは必至だ。

荻野 ファンから見れば、エキサイティングな野球は面白い。そこに乱闘事件がある。

菅谷 死球を利用して、バッターは打てなくなると、ベースに近づいて立つ。ぶつけたピッチャーの方が悪いとなるとなるから、ピッチャーは内角に投げられなくなる。

露久保 落合博満はかなりベースの近くに立っていた。西武の松沼兄弟(博久、雅之)らは、ぶつけてはいけないと外角を投げて打たれた。外角は落合にとっては真ん中のタマになる。それをライトスタンドに放り込んだ。でも、打つ位置はラインの中だからルール違反ではない。しかし、投手から見れば、いかさま打法じゃないかと映る。

菅谷 もちろん、バッターにも責任はある。内角を投げされないようにベースにかぶさるようにして構えるのは、普通の投手対打者の勝負からすれば、マナー違反となる。しかし、打者が内角をなげさせない、というのも技術のひとつ。そういうことでプロ野球は成り立っている。

岡田 死球をめぐるかけひきが、勝負を左右したのだ。乱闘事件の火種は常にあったんだよ。

西村 犯罪行為とは構成要件に該当し、違法であり有責な行為である、と昔習った。乱闘は殴り合いである。ボクシングは殴り合いのスポーツだから、違法性は存在しない。しかしプロ野球選手にとっては、殴り合いは犯罪行為となる。だから乱闘は容認できない。

蛭間 乱闘は好きではないが、そこにいたるまでの勝負にかけるかけひきは考えさせられる。相手のウィークポイントをさがし、そこを付くというのは戦術のひとつだから・・・。

菅谷 パ・リーグに「ぶつけ屋」がいた。その投手がぶつけた。するとぶつけられたチームの監督がマウンドに飛んで行き、その投手の頭をポカリとやったという話がある。またある投手から聞いた話だが、相手の4番打者にぶつけ退場させたら「監督賞」が出たという。笑い話ではなく、ご褒美なのだ。

山田 乱闘事件においてもチーム一丸となって、という雰囲気はあった。おとなしいといわれた選手が乱闘になると前に出て行く姿をみると、乱闘は選手の隠れた部分が現れる場でもある。。

▽禁止が増え、おとなしくなった大リーグ

露久保 いまのプロ野球を見ていると、別世界のような野球が行われていたことになる。大リーグではどうか?

島田 大リーグはダイナミック・プレーが売り物。危険な行為は当たり前だった。それが、おとなしくなってしまった。相手選手に向かってのスライディングタックルは禁止した。禁止がどんどん増えて、大リーグが自分の首を絞めているようになった、という声が少なからずある。

蛭間 闘争はスポーツマンの本能である。その本能を制限すれば、スポーツマンではなくなる。エージェントがうるさいからとか、けがをしたら困るからとか、危険なことを避けて野球をやろうということになってきている。それが大リーグ野球のスマートさにつながっている。

田中 頭を狙うビーンボールが、乱闘事件をひき起こす。命にかかわるからだ。その恐怖を利用するのだから、本来のスポーツではないと思う。

菅谷 基本的に、頭を狙う投手はいない。頭部に当たった時の怖さをよく知っているから。実際に硬球の球は固く、当たれば痛い。防具があっても、まともに食らえば悲鳴をあげる。当てられた人間が、このヤローとなるのは当然だ。コーチは、バッターの膝を狙えと教える。その命に選手はノーとは言えない。膝を狙って投げて、当てた方は万々歳、当てられた方は大ダメージになる。だから、そのあと、一瞬の殴り合いは起こる。それは仕方ないことだ。

▽高校時代に頭部死球で病院送りになった怪物江川

西村 大物選手は狙われやすかった。(作新学院時代の)江川卓が1年生の秋、選抜出場がかかっている関東大会で、死球を受け救急車で運ばれた。江川は、死球の標的にされるほどすごい力を持った投手だった。甲子園で対戦した広島商の監督は、江川はコントロールのいい投手だから頭には絶対投げこない。安心して逃げずに向かって行け、と指示を出して打者にハッパをかけたという。

山田 僕は星野仙一が投げていた頃の中日のゲームを見るのが好きだった。星野さんの相手に向かっていく野球は、男の勝負を感じた。世界の王さんに向かっていくあの闘志である。乱闘とは違う、いい意味でのぶりかり合いがあった。

岡田 乱闘事件は、よく来日した外国人の選手が過剰反応して事件を起こした。日本人はおとなしいから、一発かましておけばあとはシュンとなると甘く見ていた。

山田 かつては、他チームの選手と仲良くすると監督に怒られた。巨人の「八時半の男」宮田征典が、一塁で相手の選手と話をして首脳陣からお目玉を食った。最近は、一塁ベース上で他チームの選手と話をする時代になった。仲がいいのはいいんだけど・・・。

田中 確かに、いまは他チーム選手と仲良しになるという機会が増えている。サムライジャパンみたいにオールジャパンのチームができて、それが他チームに対する対抗心が薄れて、ただプレーだけに専念する。相手を貶めるかけひきは必要ないという雰囲気ができている。

真々田 昔は野性味あふれた選手が多かった。時代の変化で、危険性をなくすことで本来のプレーに徹しようとなってきている。しかし、それは野性味がなくなったことを意味しない。荒々しさがなくなって、スマートな野球になってきたということだね。

菅谷 乱闘は試合の付随物かな。それを見て客は盛り上がる。相手の選手に怪我をさせてはいけないが、一つのショーとしての楽しさとすれば、プロ野球の宿命かも知れない。

露久保 1900年代後半のプロ野球において乱闘事件は数多く起きていた。歴史的にみれば、阪神―巨人の「バッキー・荒川事件」は大きな教訓も残した。傷害事件としては「悪」ではあるが、勝負の世界、勝利への戦術研究と執念、対戦のかけひき、ファンの興味などを勘案すれば、一概に悪だとは決めつけられないことも分かった。次回は乱闘事件に対する各記者のさらなる意見と異見、それにルールと反則行為のついて語り合いたい。(続)