「大リーグヨコから目線」-(荻野通久=日刊ゲンダイ) 

◎オールスター戦の思い出(2)

メジャーリーグのオールスター戦が近づいてきた。今年は7月18日(日本時間19日)にワシントン・ナショナルズの本拠地 ナショナルズパークが開催地だ。今回はオールスター戦での日本人大リーガーの話をしたい。打ったり、投げたりはテレビで放映されているので、ベンチ裏の話である。

▽選手取材は公式行事

オールスターの前日には全出場選手がア・リーグ、ナ・リーグに別れ、時間を置いてインタビューを受けることが恒例になっている。ホテルの一室か球場の特設会場に選手個々のブースが設けられ、そこで取材を受ける。時間は40分から50分くらい。内外の記者がブースを取り囲んで、質問を浴びせる。
 2013年の出来事と記憶している。
 投手部門で選出されたダルビッシュ有(当時レンジャース、現カブス)が突然、ブースから姿を消した。それまで報道陣から取材を受けていたが、記者がいなくなったのでブースの裏に入ってしまった。記者は選手のブースを渡り歩く。お目当ての選手に質問をして、それが済めば次の選手に移る。従って選手の前に誰もいなくなることも珍しくない。ただ、それでも決められた時間はブースにいることが選手には義務付けられている。いつ、記者が来るかわからないからだ。それは選手にも伝えられているはずだ。
 ダルビッシュはややあって再びブースに戻ってきた。本人は「電話がかかってきたので、席を外した」と話していたが、MLB(メジャーリーグ機構)の関係者に注意された、と聞いた。試合やホームラン競争同様、選手インタビューは公式行事だからだ。

▽「もういい、休みたい」

14年のオールスター戦には上原浩治(当時レッドソックス、現巨人)が出場した。六番手として六回二死三塁で登板、デビン・メゾラゴ(レッズ)を空振り三振に切った。
 降板後、ベンチ裏で上原を取材した。初のメジャー球宴の感想を述べた後、また出場したいか、と聞かれこう答えた。
 「一人だけで十分。このメンバーに投げるのはもういい。この時期は休んだ方がいい。もう休みたい」
 当時、上原は39歳。レッドソックスの守護神として球宴前まで42試合に登板している。
 オールスター選出も田中将大(ヤンキース)がひじの故障で球宴直前に故障者リスト入り。その代役での出場だった。当初はその期間は休みをとってのんびりするつもりだったのかもしれない。だから、つい「もういい。休んだ方がいい」との言葉が出てきたとも考えられる。だが、救援は選手の思い出作りのためにだけあるのではない。

▽ジーターに見た「ファンのため」の球宴

オールスターは「ヤンキースのベーブ・ルースとジャイアンツのカール・ハッベルの対決が見たい」との少年の新聞投稿がきっかけで1933年に始まったといわれる。2人は当時を代表する打者と投手。リーグが異なるため、交流試合がなかった当時は両チームがワールドシリーズに出場しない限り対決は見られなかった。
 球宴出場は選手にとっては光栄であり、評価の対象になるものだが、まず、何よりもファンのためのものである。だから日本のようにMVPになっても、記念品は授与されるが、賞金は出ない。
投手はファン投票で選ばれるわけではないが、それでもシーズンや球宴でのピッチングを見たら、ファンはまた上原を真夏の祭典で見たいと思うはずだ。
 ちなみに14年はデレク・ジーター(当時ヤンキース、現フロリダ・マーリンズ編成担当役員)の最後の球宴。ジーターはスタメン出場し2打席で交代したが、最後までチームを応援。両リーグのナインもジーターの球宴での雄姿を見届けた。
 そんな中、3番手で投げたダルビッシュは試合途中で球場を後にした。どんな事情があったのかは分からないが、ダルビッシュや上原の言動をみると、大リーグの歴史に対する認識、ファンやレジェンドへの敬意が欠けるのではないかと思わざるを得ない。(了)