「スポーツ文化に尽くした古関裕而さんを思う」-(岡田忠=朝日) 

▽作詞者は婚約者だった

♪ 雲はわき 光あふれて 天たかく・・・
躍動感にあふれる爽やかな旋律で球児たちに青春の賛歌をつづれと歌う全国高校野球選手権の大会歌、「栄冠は君に輝く」をテーマにしたドキメンタリー映画が、第100回記念大会迎えるこの夏に完成するそうだ。作詞は加賀大介、作曲は古関裕而(いずれも故人)。映画は作詞者の家族の物語だ。
 詩の応募段階では、作詞者は加賀道子(93)さんだった。1948年6月、朝日新聞が公募した5252編の中から選ばれた一遍である。ところが、実は大介さんが懸賞金目当てと思われるのが嫌で、婚約者の道子さんの名前を使って応募したのだ。それから20年後の68年に道子さんがいきさつを告白して事実が判明したのだが、この話は甲子園大会にまつわるロマンチックな逸話として今に伝わっている。

▽大会中に訃報、甲子園に流れた遺作

どんな物語が展開するのか今から楽しみだが、作曲者の古関さんにも感動的な話がある。作曲の依頼を受けた古関さんだが、球児たちの情熱に応えるような曲想がすぐには浮かばず随分苦心したそうだ。そこで甲子園球場に密かに足を運んで実際にマウンドに立ってみたりした。天を仰ぎマンモススタンドに包まれて大歓声を浴びる球児たちの姿を思い浮かべて曲の構想を練る、と、あの若者の情熱を掻き立てるメロディーがやっと沸き上がってきたという。こうして出来たメロディーは希望と勇気を与える青春歌として今も私たちに歌いつがれている。
 その古関さんが亡くなったのは1989年8月18日で甲子園大会の真っ最中だった。朝のテレビ,ラジオのニュースで逝去の報が流れると、試合中の甲子園球場のスコアボードにも訃報が掲示された。試合は中断され、場内に「栄冠は君に輝く」の曲が流される。約4万の観客は、そのメロディーに合わせて遺作を歌い上げ、古関さんの死を惜しんだ。

▽スポーツ界に残した大きな足跡

古関さんは生涯に約5000曲ものメロディーを発表している。その製作スタイルは楽器を使わず五線紙に直接音符を書き込む独特の方法をとった。
 レパートリーは実に多彩で、「高原列車は行く」「あこがれの郵便馬車」などの歌謡曲だけでなく、女風呂を空にしたといわれるラジオドラマの劇中曲「君の名は」や、戦後の孤児をテーマにした「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」などの抒情豊かな曲、さらにダイナミックでロマンチックな「イヨマンテの夜」など驚くほど多岐にわたる。
 この作曲家の野球界に残した足跡も大きい。17年(昭和6年)にベーブ・ルースら大リーグのオールスターチームを迎えたときに作った親善歌、「日米野球行進曲」をはじめ、「巨人軍の歌~闘魂込めて~」「大阪タイガースの歌~六甲おろし~」は代表的な応援歌として多くのファンに親しまれている。早稲田大学の応援歌「紺碧の空」もそうだし、社会人野球関係の曲もあって賑やかである。
 スポーツ界全体を見ても64年の東京五輪は勇壮な古関さんの「オリンピックマーチ」で入場行進した。お馴染みといえばNHKのスポーツ放送の冒頭で流れる「スポーツショウ行進曲」も古関さんが手がけたものだ。

▽殿堂に名前のない不思議

確かに古関さんは多くの軍歌も作った。戦争を否定しながらもいざ開戦となれば共に戦うのが国民の務めと考えたといわれる。国民栄誉賞の打診があったとき受賞を辞退したのは、結果的に軍国主義の一端を担いだという心の呵責があったためなのかも知れない。勝手な想像だが・・・。
 私は時折、東京ドーム内にある野球殿堂博物館へ行く。ここに野球界の功労者のレリーフが並んでいるが、この中に古関さんがいないということに気付く。あの功労者の古関さんがいてもいいのに・・・。そればかりか、殿堂入り候補者の名簿にあった古関さんの名前がいつしか消えてしまっている。野球界の背中を押してくれた人の恩に報いられないのが残念だ。(了)