「菊とペン」-(菊地順一=デイリースポーツ)

◎「ひばり、王を叱る」
 なんのこっちゃと思うでしょう。私、長い記者生活で出稿した原稿に整理部が付けた見出しに感心し、また憤慨(こちらの方が多い)したものですが、これなどはいまだに記憶している。
 1988年(昭和63年)、5月下旬。当時、巨人の担当で監督は王貞治さんだった。
 前年度はリーグ優勝したものの、この時点で借金1の2位。月曜日のこの日は全員練習で、場所はジャイアンツ球場の室内練習場だった。
 練習場入り口でたばこを吸いながら各社の記者たちとお喋り。アハハと笑ってはいるものの、だれもが「きょうの原稿をどうしよう」と考えている。チームの状況は悪い。
 と、その時、入り口付近に1台の車が。降りてきたのは小柄な中年女性。マネージャーらしき女性に支えられている。
 オーラがあった。それもそのはず、「昭和の歌姫」美空ひばりさんだった。
 ひばりさんはこの直前、肝臓病から立ち直り、東京ドームで不死鳥のごとく復活コンサートを成功させていた。
 王監督とは現役時代から親交があり、巨人の激励にわざわざ駆け付けたという。
 子供の頃、大晦日の紅白歌合戦を必ず見たものだが、ひばりさんは毎年必ず大取で登場し、万雷の拍手を浴びる。世界は私のためにある。圧倒的な存在感があった。
 これで原稿を作るしかない。
 王監督の案内で練習を視察。原(巨人監督)は「よろしくお願いします」と頭を下げ、
「あらまあ、博多人形みたい」と言われた吉村(現巨人一軍作戦コーチ)は顔を赤らめていた。
傑作だったのは中畑清である。すでにレコードを出していたのに、「今度、歌を基本から教えてください」とお願い、快諾をもらうと、その場でひばりさんの18番「りんご追分」を熱唱。さすがの歌姫も苦笑いだった。
 だが、これでは原稿は大きくならない。チャンスは帰り際の囲みだが、ひばりさんサイドから代表質問でとなった。
 全員で顔を見渡した。その時、某夕刊紙のベテラン記者が、「オイ、菊地、お前はミーハーだからやれ」と。ハッ、俺ですか。担当記者たちの視線が集中する。
 当たり障りのない質問から破れかぶれで、
「なにか王さんにアドバイスはありませんか? 美空さんの歌に勝つと思うな、思えば負けよ、という有名な一節がありますが」
と聞くと、
 「そうよね。テレビで見ていると、いつも不機嫌そうな顔をしているでしょ。厳しい顔ばっかり、あんまり暗い顔をしないで」
 と答えてくださったのだった。
 これでできた。私の背中に突き刺さる担当記者たちの視線が柔らかくなった。
 翌日、もちろん、1面である。各紙の見出しも同じようなものだった。アドバイスがなぜか叱るに変わった。王監督、機嫌があまりよくなかったのをこれまた覚えている。
 振り返って、故美空ひばりさんに代表質問したのは密かな自慢である。やはり、俺は
ミーハーか? (了)

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