「大リーグ ヨコから目線」(44)-(荻野 通久=日刊ゲンダイ)

◎大谷翔平と萩野公介
▽高卒時の争奪戦
大谷翔平世代のアスリートが8月24日、現役引退することが明らかになった。大谷世代といっても野球選手ではない。競泳の萩野公介だ。
 2人は同じ1994年生まれの27歳。野球と競泳と競技は違うが、高校時代に大谷は岩手の県大会で161㌔を投げ、萩野はロンドン五輪400㍍個人メドレーで銅メダル。世間をアッと言わせた。高卒後の進路は世間の注目を集めた。
当時、萩野の関係者に取材したことがあるが、さまざまな話を聞いた。
「ある地方の医科単科大学から入学の勧誘があった。卒業までの6年間だけでなく、競技のため進級が遅れても7年でも8年でも面倒を見る。今、大学に水泳部はないが、萩野君のためにプールも作り、最高のスタッフを招く」
 萩野の父は国立大出身。萩野も学校の成績はよく、頭脳も明晰だった。特待生の扱いをされなくても医大に入学できたろう、と言われた。東京六大学の中には、萩野と彼を育てた水泳教室のコーチを一緒に入学させるべく懸命の働きかけを行うところもあった。大学の知名度アップに激しい獲得競争が繰り広げられたのである。
 一方、大谷は大リーグ挑戦を宣言。ドジャースなど3球団が高く評価、面談して獲得に動いた。「高校からメジャー入り」という初のケースに大谷は夢を膨らませた。その年のドラフトでは8球団が1位指名。日ハムが単独指名に成功したが、入団交渉を拒否するなど大谷の決意は揺るがなかった。
▽9年目の明暗
揃って激しい争奪戦に巻き込まれたのだが、結局、萩野は本人の希望通り、東洋大に進学。アテネ、北京五輪の男子平泳ぎ100、200㍍で連続二冠の北島康介を育てた平井伯昌氏が指導していたからだった。
逆に大谷は日ハムや両親などの説得もあり、一転、大リーグ挑戦を断念。日ハムに入団した。大谷はプロ野球でも投打の二刀流を希望、栗山監督も「4年間は二刀流をやらせる。大学に行ったと思えばいい。5年目にどちらかに決める」と話していたという。
 4年後の2016年、萩野はリオデジャネイロ五輪の400㍍個人メドレーで金、同200㍍で銀、800㍍リレーで銅メダルに輝いたが、怪我や病気もあってこれが競技生活のピーク。17年にはプロスイマーに転向したが、成績は下降線をたどった。
大谷は4年目に投手として21試合に登板し10勝4敗、防御率1・86。打者として104試合に出場し、規定打席には達しなかったが、打率3割2分2厘、22本塁打、67打点を記録。二刀流大谷を認めさせた。
 あれから5年、大谷は18年にエンゼルスに入団。今やメジャーでももっとも注目される選手となっている。萩野は27歳で競技生活に別れを告げる。選手寿命が長くなっている競泳界では27歳はまだまだ活躍できる年齢だ。
9年前の獲得合戦と進路の決断を思い出すが、今、大谷はメジャーの歴史を変える選手として、萩野は指導者として道を新たな開くことになる。(了)