「大リーグ見聞録」(52)-(荻野 通久=日刊ゲンダイ)
◎佐々木朗希の快挙 アメリカと比べると…
▽メジャーが関心、高校3年生の佐々木
「今、アジア人で一番関心があるのはササキ(佐々木朗希)だ。彼はプロ野球に行くのか?」
ロッテ佐々木朗希の完全試合(対オリックス・4月10日)とそれに続く日ハム戦(17日)の8イニングパーフェクト投球を見て、オークランド・アスレチックスのダン・ファインスタインGM補佐(当時)の言葉を思い出した。2019年7月、アスレチックスの本拠地球場を取材で訪れたとき、こう質問されたのだ。
その当時、佐々木はまだ岩手の大船渡高校の3年生。夏の甲子園大会の県予選で160㌔の速球を投げ、超高校級と騒がれていた。それでも新聞社をリタイアした野球担当記者に佐々木の情報を求めるとは、アメリカでも大きな注目を集めていることに驚いたものだ。
佐々木は今年プロ3年目(登板16試合はすべて先発、4月30日現在)だが、記録の上だけなら大リーグではもっと凄い投手がいる。シカゴ・ホワイトソックスのチャーリー・ロバートソンは1932年4月30日、メジャーデビュー3戦目にパーフェクトゲームをやってのけた。対戦相手は当時、リーグNO1の強力打線(チーム打率3割0分5厘)のデトロイト・タイガースだったので、さらに価値を高めた。
メジャーには初先発でノーヒットノーランを達成したのは3人いる。テッド・ブレイテンシュタイン、チャールス・ジョーンズ、アルバ・ホロマン。そのうち前記の2人は19世紀の投手。ホロマンはセントルイス・ブラウンズ(現カージナルス)の投手で1953年5月6日に記録している。失策1、四球6だった。
▽達成投手の明暗、ファーム落ちと200勝
年齢はどうか。佐々木は20歳。それより若い完全試合投手は大リーグにはいない。無安打無失点の最年少はオークランド・アスレチックスのヴァイダ・ブルー。1970年9月21日にミネソタ・ツインズ戦でノーヒットノーラン(四球1)を記録。当時21歳だった。
球史に名を残した投手たちだが、必ずしもその後、活躍したとは言えない。19世紀の2投手はともかく、ホロマンは無安打無失点をやったシーズンの途中でマイナー落ち。その後もパッとしなかった。
一方、ブルーはエースとして活躍。1971年には24勝8敗でサイ・ヤング賞に輝いている。その年は312回3分の1で301奪三振。佐々木同様、奪三振マシーンだった。MLBで17年間プレーし通算205勝(161敗)している。
プロ野球と大リーグで完全試合をやった投手はまだいない。佐々木はメジャー志向が強いという。いずれ近い将来、海を渡るのは確実だろう。日米で完全試合の偉業達成が楽しみである。(了)