第6回 ライトフィールド (島田健=日本経済)

◎「ライパチ君」応援歌

▽PPMのハートウォーミングソング

ピーター・ポール&メアリー(PPM)といえば1960年代、「レモントゥリー」に始まって、「花はどこへ行った」「500マイル」「パフ」などヒット曲を連発したフォークソグトリオ。「悲惨な戦争」等、反戦ソングでも名を売った。しかし、この唄は86年(昭和61年)の結成25年記念コンサートで披露された、観衆の心をほっとさせる、温かい野球の唄だった。

▽ライトはやっぱり下手が守る

夏の少年野球を扱ったこの曲、「校庭にみんなが集まるとキャプテンを選ぶんだ。そして足が速かったり、打撃がいい選手がショートやファーストに回る。僕はというといつも自然と最後になって選ばれる。それで右翼につくわけだ」。少年野球ではボールも速くないから、右打者は引っ張るばかり、左打者は逆に非力な者が多い。打球のくることが少い右翼がへたっぴーの定位置。そんな選手は打てないから、打順も8番。日本で「ライパチ君」と呼ばれる所以である。

▽ライトの空想

「右翼って楽なのさ。ぎごちなくてもいいし、遅くたってかまわない。だからここにいるんだから。タンポポが伸びるのを見ているだけさ」と卑下するが、夢だってある。「なかなかこっちへ
打ってくれないけれど、もし来たら走りながらすごいキャッチをして絶対ボールを逃さない」。しかし「だけど長い空想から覚めて、僕が祈るのは僕のところには決して来てくれるなということ」と本音を歌ったところで観客は大爆笑である。

▽突然ヒーローに

「試合が進んで、ストライクを重ね、走者もが何人か。何回か分からないしスコアも覚えていない。突然、何だか分けわからないうちに、チーム全員が叫び始めた。そして球場全体が僕のことを見つめるんだ。みんなが空を指差したところで、僕は上を見上げる」。聴いているみんなが、エラーを予想していると、「するとボールが僕のグラブの中に落ちた」。観客はホッとして拍手喝采である。ソロを歌っているポール・ストゥーキーもニヤリと笑っていた。

▽日本では漫画で応援

読売新聞日曜版では77年から88年まで吉森みき男が「ライパチ君」を連載した。病弱の少年がライパチに始まって、次第に成長していく物語である。85年10月にはテレビで実写版が放送された。ライパチの思い出があってもなくても、この唄や漫画はタッチング(心を動かす)である。(了)