第2回 イチロー(2)(蛭間豊章=報知)
01年1月、私は正月休み中に、運動一部の部長から「イチローが自主トレーニングにシアトルに行く。大変だけどシアトルに飛んでくれ」との指示があった。
▽ファンの逆鱗に触れたブログ
イチローは連日、本拠地セーフコ・フィールドのトレーニングルームでトレーニング。時たまグラウンドで遠投などを行っていた。午後1時すぎに囲み取材。約5分間程度だったが、レギュラーシーズンで5月に出かけると代表取材(それも1社)という悪しき慣習になったことを考えると、世間話もできた幸せな取材時間だったと今思う。
非力が心配されたイチローだったが、それを補って余りある持ち前のバットコントロールと圧倒的なスピードでメジャーを席巻していくのは皆さん周知の通り。5~6月にかけ約2か月間の取材も本人と話したのはわずか2度しかなかった。
帰国後に、現地で感じたイチローへのマイナス点をそのまま書いた「イチローはまだメジャーではない」のブログ。これがイチローファンの逆鱗に触れ、2ちゃんねるにもアップされたのも今では懐かしい思い出だ。
▽大晦日のイチロー自らチェック原稿
04年にシーズン262安打のメジャー新記録を作ったオフに、正月元旦用の記事については思い出がある。
吉田貴士さんが聞き手に回った3ページに渡るロングインタビュー。通常ならマネジャーなどがチェックするのだが、何とイチロー自らこちらが送った600行ほどのモニターに数々のチェックが入っていた。それが送られてきたのが大晦日の午後、大慌てで赤字を入れたが、自らの言葉に責任を持つ”・・・らしさ”に感服した。
その後の活躍については細かく書く必要はないだろう。以来、現地で取材することはなかったが、メジャーデスクとして、またスカパー、Jスポーツの解説者としてイチローを見守り続け、区切りの記録達成の度に号外発行と付き合ってきた。
それだから思うのだが、14年のヤンキース退団時に辞めるべきだった。その時点で辞めても野球殿堂は確実に入れる実績を残している。衰えの見える走攻守を見るのはつらい、と思うのは私だけだろうか。(了)