第8回 ジャッキー・ロビンソンのあの打球をみたか(島田健=日本経済)

◎「初の」黒人選手の活躍を讃える

▽自由の国も人種差別は依然

近代になって隆盛を迎えた米大リーグ(MLB)だが、黒人選手を採用することは長らく忌避されていた。ニグロ・リーグで活躍しても、MLBには入れない。伝説の名投手サッチェル・ペイジも晩年になってやっと加入を許された。そんな厚い壁を破った仕掛け人がブルックリン・ドジャース(1958年にロサンゼルスへ本拠地移転)のブランチ・リッキー会長だった。ジョージ・シスラー(イチローの前の年間最多安打記録保持者)スカウトの推薦を受けて、採用に踏み切ったが、条件は「黒人への差別に対してやり返さないこと」だった。

▽いきなり活躍、新人王

3Aを経て47年4月10日にメジャー昇格、他の球団の反対は当時のハッピー・チャンドラー・コミッショナーが抑えて何とか15日にはデビューを果たした。この年は打率2割9分7厘、12本塁打、29盗塁で新人王に輝いた。49年には首位打者と盗塁王になってMVP。これに感激、または目をつけたのが黒人ピアニスト兼ソングライターのバディ・ジョンソンだった。「君はジャッキー・ロビンソンのあの打球を見たか 左翼のフェンスを音を立てて超えて行った そうジャッキーがあの打球を打ったんだ」。49年に発表したこの曲はヒットチャート13位に入った。

▽壁を壊してからは続々入団

ロビンソンの成功から、黒人選手の加入は増えた。でもジョンソンは「サッチェル・ペイジは素晴らしい キャンパネラもそうだし、ニューカムもドビーもいい  でも、ロビンソンが打席に初めて立った時は、他のチームはみんな反対していたのも事実なんだ」と唄う。ロビンソンが受けた差別、嫌がらせなどはやはり大変なものだったようだ。「彼が打ったかって、もちろんさ でもそれだけじゃないんだ 彼はホームも盗んだんだぜ 本当にすごいやつなんだ」。打撃だけでなく足の速さも絶賛である。

▽大御所のカバーがスタンダードに

97年にはロビンソンの背番号「42」が全チームの永久欠番になり、2004年に4月15日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」と制定された。近年は全選手、スタッフがこの日は42番を付けてプレーするなど同選手の偉業はMLB全体で讃えられているが、バディ・ジョンソンの作った唄はジャズの巨匠カウント・ベイシーにカバーされ、そのバージョンが定番となっている。ソロで歌っているジョンソン版と異なり、ビッグバンドを背景にコーラスとボーカルのタップス・ミラーとの掛け合いがあり、トランペットソロもあるカラフルさ。なるほど、である。

なお、史上初めて大リーグでプレーした黒人(アフリカ系アメリカ人)は1884年のモーゼス・フリート・ウォーカー捕手とされている。トレド・ブルーストッキングスに所属したそうだが、1年だけでマイナー落ちし、ロビンソンが登場するまでメジャーに黒人選手は所属できなかった。原題はDid you see Jackie Robinson hit that ball? (了)