第9回 南海ファンやもん(島田健=日本経済)
◎チーム愛を訴えるブルース
▽衝撃の生卵事件
南海を引き継いだダイエーホークスが福岡に誕生して8年目、王貞治監督が就任して2年目の1996年(平成8年)5月9日、事件は起こった。日生球場での近鉄戦で惜敗、4連敗で9勝22敗となった時だ。
あまりに不甲斐ない成績に怒ったファンが帰りのバスを取り囲み「王監督辞めろ」などの罵声とともに、用意していた生卵を投げつけたのだ。ニュースを聞いて「本拠地が移動しても南海ファンはまだたくさんいるし、過激だな」と思わされたものだが、この唄の存在を知ってコアな(一途な)ファンの心情が少し理解できた。
▽やしきたかじんプロデュース
「昔の話が 酒のあてになる頃 そんな時だけに 目の輝きが戻る あん時ゃよかったね あん時ゃ強かったねと 言いたいばかりに 今日もミナミの飲み屋へ」
分かるなあ。リフレインは「だって俺 だって俺 南海ファンやもん」。50年代、60年代には優勝9回、2位9回と黄金時代を迎えた南海も78年以降は連続Bクラス、この唄が発表された1986年も最下位。
野本弦助(現在は有流)と幸木無二によるブルースバンド、アンタッチャブルが「やっぱ好きやねん」のやしきたかじんのプロデュースで出した曲である。
▽球場がなくなっても唄は残る
南海はダイエーになった後、さらに身売りしてソフトバンクと名前を変えた。本拠地だった大阪球場も98年には解体されて、その後、総合商業施設の「なんばパークス」に。今はいくつかのモニュメント(記念碑など)でしかチームを偲べない。
「酒とグチと 南海ホークス 一人で語る 黄金時代のことを」「緑のユニフォーム好きやから」「散歩がてらに 中もず(二軍施設)たずねれば なんとも言えんエー感じ」とファンにはたまらない歌詞が続くこの唄は、本来のチーム、本拠地がなくなっても南海ファンの存在を強くアピールしている。
▽野球の唄尽づくし
野本有流はアコースティックギターでブルースを唄うが、実家の家業を継いで鍼灸師をしながら、ライブも行う二刀流。
南海はもちろん無類の野球好きでもあるようで、00年に出したアンタッチャブルのミニアルバム「みんな野球選手になりたかった頃」は、新旧の「南海ファンやもん」のほか「さらば大阪球場」、ホークスや近鉄で活躍した山本和範をモデルにした「サムライ」「最後の一振り」など野球の唄オンパレード。野球とブルース好きにはたまらないCDである。
なお、同様にファンの無念を唄う「甦れ!俺の西鉄ライオンズ」はまた別の機会に紹介する。(了)