第18回 日米野球から一気にプロ野球誕生へ(菅谷 齊=共同通信)
▽大日本東京野球倶楽部
ベーブ・ルースを迎えて行われた1934年の第2回日米野球ツアーは大成功だった。ビジネスとして大儲けとはならなかったものの、なによりも野球の面白さを日本中に知らしめたことが大きかった。
正力松太郎はその「野球は全国区」に、野球の将来を見た。
日本にプロ野球を作ることが使命、と自らに言い聞かせた、と思う。それを形にしたのが大日本東京野球倶楽部の創設である。
随分と仰々しい団体名だが、夢と希望が満載しているように感じられる。
株主に名を連ねたのは政財界の面々だった。のちに自民党の政治家となった藤山愛一郎もいた。
日米野球が終わったあと、野球人気はうなぎのぼりだった。すでに中学校の春夏の甲子園大会、大学のリーグ戦、社会人野球が盛んになっており、大リーガーの登場でプロ野球への流れは必然だったといっていい。
それを正力は見逃さなかった。
▽巨人軍創立とメンバー
日米野球が終わってから1か月ほど。12月26日のことである。
-巨人軍、創立
この総会が行われた。東京・日比谷の東京会館。創立パーティーは各界の名士を招いての豪華さだった。
そのハイライトはメンバーの発表である。総監督で球団役員の市岡忠男が読み上げた。
・投 手=水原茂(慶応大出)畑福俊英(専修大)青柴憲一(立命館大)沢村栄治(京都商)ビクトル・スタルヒン(旭川中)
・捕 手=久慈次郎(早稲田大出)倉信雄(法政大出)
・一塁手=永沢富士雄(大洋倶楽部)
・二塁手=三原修(のち脩、早稲田大出)
・三塁手=新富卯三郎(門司鉄道管理局)津田四郎(奉天実業)
・遊撃手=苅田久徳(法政大出)
・内野手=江口行雄(享栄商出)
・外野手=矢島粂安(早稲田大出)中島治康(早稲田大出)夫馬勇(早稲田大)二出川延明(明治大出)山本栄一郎(元宝塚協会)ジミー堀尾文人(米国ロサンゼルス)
監督は三宅大輔(慶応大出)、主将に久慈、副主将に二出川。ベーブ・ルース招へいを実現させた鈴木惣太郎はマネジャーとなった。
のちのプロ野球を支えた若者が見える。水原、三原、苅田、中島、スタルヒンら。スクールボーイ沢村は“巨人の星”として迎えられた。(続)