「長嶋茂雄と私」(2)-(高田実彦=東京中日スポーツ)

▽ショートノック

川上巨人の練習は入念なノックから始まる。始まるというより「終始する」といっていいほど執拗だった。 
長嶋はそのノックをみんなと一緒に受けた後、自分の打撃練で自分の順番で打った後、手の空いた牧野茂コーチと三塁側のフェンス前で、チームの打撃練習が終わるまでノックを受けていた。
「ええ、腰と足ですね、ハイ」
 これを毎日30分から40分間は受けていた。そのため足腰の故障で試合を休むことがなかった。

▽弱点は扁桃腺

1970年(昭和45年)だったか、禁煙した。
「ボクはよく風邪をひくでしょ? だからたばこをやめたんです、ハイ。扁桃腺を切れと言われましてね。だけど体にメスを入れるのは良くないですからね、ハイ」
以来、風邪で試合を休むことはなかった。

▽グラブで挨拶

神宮球場のデイゲームのときだった。空いていた三塁側の前から3人目くらいの席に座って試合を見たことがあった。ネット裏の記者席からでしか試合を見たことがなかったからである。
すると、守備についていた長嶋が私を見つけて、一度目を離した後、なんと私に向かってグラブを振ってきた。 試合の後、
「よくわかりましたね」
 と言うと、
「ええ、気配がね、ハイ」
いわゆる長嶋の「動物的感覚」である。

▽ニックネーム

最初は「チヨウさん」。私が巨人担当になったころの78年(昭和43年)ころまで。
 そのあと、「ハリケーン」。しかし、これは被害を伴う感じが抜けきらず、もう一つだった。
 そこで出てきたのが「ミスター」だった。ちょうどハリウッド映画の「ミスター・ロバーツ」が人気でたちまち長嶋が戴くことになった。
 そして、ミスターは日本の「ミスタープロ野球」になった。(了)