「長嶋と私」(3)

◎手相について

 私の友人に門脇尚平という手相の研究がいた。中学時代の同級生だ。その門脇が「王と長嶋の手相をみたい。なんとかならぬか」といってきた。1970年(昭和45年)ころである。
 王にその旨を告げると「いいですよ」といって後日、練習後のベンチに入れてくれて両手をみせてくれた。
 ところが長嶋は、
 「ボクはそういうの、嫌いなんです、ハイ」
 と、応じてくれなかった。神経質な人なんだなあ、と思ったことだった。

◎川上監督のON評

 ある日の試合前のベンチ雑談の時、「王と長嶋の違い」を聞いたことがある。そのとき川上さんは即座にこう言った。
「二人をここへ呼んで、この石段を登ってみろ、といったとする」
 川さんはここで一呼吸おいて、こうおっしゃった。
 「王は一段一段、石を踏みしめて確認するように登っていく。長嶋は、ハイ、といって一目散に駆け上がっていくよ、はは」

◎所憲佐さん

 長嶋の車ノ運転は長い間、伊藤さんという人がやっていた。運転だけでなく庭木の手入れや修理を、奥さんは家の中で亜希子夫人のお手伝いをして夫婦で長嶋家をみていた。
 しかし、もう一人の専属ドライバーがいた。所憲佐捕手である。公式戦に出ることは少なかったが、毎日球場へきていた。川上監督公認の付き人みたいな人で、大仁の自主トレにもついて行って同じホテルに泊まっていた。(完)