「野球とともにスポーツの内と外」-(佐藤彰雄=スポーツニツポン)

▽引き際の美学・考

 悔しかったことでしょう。日本シリーズ第4戦で4連敗。ソフトバンクに歯が立たなかった巨人。この試合が最後となり“有終の美”を飾れなかった阿部慎之助捕手(40)の胸中はどうだったでしょうか。
 阿部が今季(2019年)限りでの現役引退を決断、それをチームメートに伝えたのは9月23日、対ヤクルト戦後のロッカールームで、でした。同25日の引退会見では、後進の活躍でリーグ優勝できたことを喜び「ある意味、ボクも肩の荷が下りた」と19年にわたった野球人生に“悔いなし”の笑顔を見せました。
 第一線で活躍するアスリートには、いずれ必ず訪れる、避けては通れない難題が“引退への決断”でしょうか。
例えばプロボクサーの場合-。
 元世界王者の浜田剛史氏(現・帝拳ジム代表)は、自らの経験を踏まえてこう言います。
 「悔いを残しているかいないかが決断の物差しとなりますね。(敗れた選手が)持てる力を出し切ってのものと考えるなら“(引退も)仕方ない”となるでしょう。出せなかった不満が残れば“もう一丁”となるでしょう」
 また、帝拳ジムのマネジャーを務め、長い間、多くのボクサーと接してきた長野ハルさんは、こう言いました。
 「負けたとき、負けた理由がわかって、それが希望につながるなら再起するでしょうし、つながらなければ絶望的(引退を決断)になるでしょうね」

▽「心の限界」と「体の限界」

 もう一つの例-。
 15年8月、五輪の柔道男子60㌔級で3連覇を果たした野村忠宏は、同月の「全日本実業個人選手権」(兵庫・尼崎市=ベイコム総合体育館)を最後に現役生活に別れを告げました。ちなみにこの大会、得意の背負い投げでベスト16に進出、そこで敗れました。
 1974年(昭和49)12月10日生まれ。引退時40歳(阿部と同年齢です)。天理大4年時の96年アトランタ五輪での金メダルを皮切りに2000年シドニー五輪、04年アテネ五輪と五輪3連覇の偉業を達成。その間、97年の世界選手権(パリ大会)でも金メダルを獲得しています。
 現役引退を決断した野村は、
 「勝ち方も一本。負け方も一本。そういう人生だった。“よう頑張ったな”そういう言葉を(自分に)かけてあげてもいいかな」
 と“悔いなし!”の胸中を明かし、長い現役生活で満身創痍となった体を振り返り「心の限界はないが、体の限界を感じた」と言いました。

▽自分を始末する勇気

 野村が口にした「心に限界はないが、体の限界を感じた」は、決断という最大の難題に悩みつつ、しかし、いかにも柔道家らしい“引き際の美学”を感じさせる言葉だなァ、と思いました。
 なぜなら、この問題は周囲がどう言おうと、最後は自分で下さなければならないものだろうし、それには岐路に立って悩む自分を、冷ややかに見つめられるもう一人の自分がいなければならず、また、まだやれるだろうとの未練を引きずる自分を、潔く始末する勇気がなければならないものだからです。
 現役を引退した野村は今、20年東京五輪に向けて後進に“野村イズム”を植えつけています。
 阿部も二軍監督の就任が決まり、指導者として後進の育成に力を注ぐことになりました。(了)