第23回 甦れ!俺の西鉄ライオンズ(島田健=日本経済)

◎恨み節の名曲

▽中山大三郎が作詞作曲

 1956年(昭和31年)から日本シリーズで巨人を相手に3連覇、特に58年は3連敗の後、4連勝という奇跡的な勝利で、博多に野武士軍団あり、と讃えられた西鉄ライオンズ。
 ところが、黒い霧事件で池永正明らが戦列を離れてからはBクラスの常連となり、球団名も太平洋クラブークラウンライターと変わった78年、なんとか昔年の栄光を取り戻してくれと、立ち上がったのが宮崎県出身の中山大三郎(05年逝去)だった。
 島倉千代子の「人生いろいろ」を作詞、天童よしみの珍島物語を作詞作曲した中山は野球好きで、この唄も作詞作曲である。

▽最後には提言も

 「だれに怒っていいのか わからないが」「おれの西鉄ライオンズ もうなくなった」「太平洋 クラウンと 名前が変わる その度に」「おれたちは とまどうばかり」「かえせ かえせ ライオンズをかえせ」 
 まさに恨み節だが、最後に「西鉄ファンよ 今こそみんな 立ち上がろうよ」「あたらしい名前は たとえば九州ライオンズ」「心から 応援できるチームにしよう」とファンの奮起を促している。
 この年、西武に買収されて、福岡から所沢に移ることが発表されたのは皮肉だったが。

▽選手名を連呼

 最初のフレーズの後、「高倉がいた 豊田がいた 大下がいた」と黄金時代のメンバーを次々と挙げるのが大きな特徴。
 1番につき6人、野手から順に高倉照幸、豊田泰光、大下弘、中西太、関口清治、和田博実、小淵泰輔、仰木彬、滝内弥瑞生 河野昭修、玉造陽二、城戸則文、投手陣で稲尾和久、川村英文、島原幸雄、西村貞朗、若生忠男、畑隆幸。
 年代によっては涙が出るくらいの選手たちである。ベテラン日比野武捕手が抜けているのがちょっと残念だが、野球史の大きな1章ともいえそうだ。

▽球団応援歌より有名?

 ライオンズは経営が西鉄から移ったとはいえ財政的には豊かになったとはいえず苦しんだが、球団歌はそれなりに作られた。
 73年に発表された「君こそライオンズ」は74年には西郷輝彦の歌でシングルカットされた。75年には当時、RKB毎日放送のアナウンサーだった中村基樹さんの歌唱で「惚れたぜライオンズ」、少年ライオンズ向けには、あの子門真人が歌う「ぼくらのあこがれライオンズ」がシングルの裏表でリリースされた。
 その歌をいまだに覚えているというファンもいるが、黄金期の復活を目指したこの唄の方が、長生きをしているようだ。ただ、黄金期も、はるか昔になりつつある。恨み節の伝説となりつつあるともいえそうだ。(了)